スウェーデン系フィンランド人
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スウェーデン系フィンランド人(Finlandssvenskar/Suomenruotsalaiset)とは、フィンランドの少数派言語集団であり、文化的マイノリティでもある。スウェーデンから移住した人々とその子孫を中心とした集団であるが、近年ではフィンランド語系との通婚が進んでおり、むしろアイデンティティを共有することによって集団を形成している。 現在、フィンランドの総人口の5.5%にあたる約290,000人がスウェーデン語を母語として住民登録している。
[編集] 歴史
ヴァイキング及びその後の北方十字軍以降にフィンランドへ移住したスウェーデン人或いはノルマン人の子孫が、今日のスウェーデン系フィンランド人である。特に北方十字軍終了後にフィンランドへ統治者として渡った貴族や開拓民によって構成された。一方、先住民族であるフィン人は、団結もなく抵抗も少なかった事から、なし崩し的にスウェーデンの統治下、すなわち植民地とされて行った。以降、1809年にフィンランドがロシア帝国に割譲されるまで「スウェーデン=フィンランド」を形成した。
- 1397年、デンマークがフィンランドをも含んだカルマル同盟を締結するが、デンマーク人の勢力は、フィンランドには及ばずスウェーデン=フィンランドは維持された。1523年にスウェーデンがカルマル同盟から離脱すると、スウェーデン系フィンランド人もスウェーデンと共に独立。スウェーデン人たちが行ったバルト帝国建設に荷担する。
- 1581年、スウェーデン系フィンランド人たちは独立を模索し、時のスウェーデンの支配者ヴァーサ家に画策してフィンランド公国が成立するが、政体は、スウェーデン=フィンランド時代と何ら代わる事はなく、ヴァーサ家が断絶すると、公国自体が無かった事にされた。
- 1700年に始まった大北方戦争による敗北で、スウェーデン系フィンランド人たちの本国に対する不満が高まり、先住民であるフィン人と共に「フィンランド人」としてのアイデンティティーが目覚め始める。そしてナポレオン戦争において、スウェーデンがロシア帝国に敗退し、ロシア人がフィンランドを占領すると、彼らを解放者として迎えた。
- 1809年にロシア帝国がフィンランドにフィンランド大公国を建国すると、スウェーデン系フィンランド人はフィンランドにおける地位を失い、総人口でフィン人の下位となった。ロシア人はフィン人を公国の統治者とさせたが、スウェーデン系フィンランド人を差別化せずフィンランド人として扱った。以後、スウェーデン系フィンランド人は、フィンランド人として生き抜いていく事となった。19世紀中庸以降、フィンランドで民族主義が高まると、彼らもフィン人と共にフィンランドの独立をロシアに訴えて行った。
- 1917年、ロシア革命によりフィンランドが解放され、翌1918年にフィンランドが独立を達成すると、スウェーデン系フィンランド人もそれを支持し(スウェーデン系及びスウェーデン党の後押しにより一時的にフィンランド王国が成立した)、フィンランド国籍を持つフィンランド人となるが、一方で、スウェーデン人としてのアイデンティティも残された。現代においても、少数派ながらフィンランド社会において、スウェーデン系フィンランド人の影響力は非常に高いクオリティを誇っている。世界中で活躍する「フィンランド人」の中にも、多種多彩のスウェーデン系フィンランド人が活躍している。
- 21世紀の現在、先住民族であるフィン人とも混血が相当進んでおり、母語をスウェーデン語とする以外、両者を区別するのは難しい。北方人種系の特徴である金髪碧眼であっても、フィンランドにおいては、そのルーツは明らかに異なると言える。中世以降、フィンランドの形成に大きく関わり、キリスト教化、宗教、文化など、フィン人に強い影響を与えている。近世以降、両民族は一蓮托生となり、現代に至るまで命運を共にして行った。
[編集] 著名なスウェーデン系フィンランド人
詳しくは、スウェーデン系フィンランド人の一覧を参照。
- キリル・ラクスマン(博物学者)
- ジャン・シベリウス (作曲家)
- アドルフ・エリク・ノルデンショルド (探検家)
- トーベ・ヤンソン (画家、作家)
- リーナス・トーバルズ (プログラマ)
- ケケ・ロズベルグ (元F1ドライバー)
- カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム (陸軍元帥・大統領)