スキポール空港
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スキポール空港 | |||
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概要 | |||
空港種別 | 商業 | ||
開港 | 1916年 | ||
所在地 | 北ホラント州 ハーレマーメーア |
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運営 | スキポールグループ | ||
緯度 | 経度 | ||
52°18´31.01"N | 04°45´50.00"E | ||
IATA | AMS | ICAO | EHAM |
滑走路 | |||
方向 | 長さ | 表面 | |
メートル | フィート | ||
18L/36R | 3,400 | 舗装 | |
18C/36C | 3,300 | 舗装 | |
18R/36L | 3,800 | 舗装 | |
09/27 | 3,450 | 舗装 | |
06/24 | 3,490 | 舗装 | |
04/22 | 2,015 | 舗装 | |
統計 | |||
2004年 | |||
旅客数 | 42,541,180人 - オランダ第1位 |
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貨物取扱量 | 1,421,023トン - オランダ第1位 |
スキポール空港(Luchthaven Schiphol(蘭)、Schiphol Airport(英)、アムステルダム国際空港とも)はオランダ最大の空港で、アムステルダム南西の北ホラント州ハーレマーメーアに位置する。
スキポール空港はKLMオランダ航空、マーチンエア、トランスアビア航空などオランダの航空会社や、KLMと提携するノースウエスト航空のハブ空港となっている。オランダに馴染みのない人には、海面下に位置することも特記すべきことであろう。現在スキポールがある位置にはライク(Rijk)と呼ばれる村があり、スキポールの名は東スキポール(Schiphol-Oost)、スキポールライク(Schiphol-Rijk)と言った地名共々使われていた。
スキポール空港はスキポールグループ(Schiphol Group、旧スキポール空港株式会社(NV Luchthaven Schiphol))の資産で、株主は国、アムステルダム市、ロッテルダム市などである。
目次 |
[編集] 歴史
「Schip」は船、「hol」は穴という意味が示す通り、昔一帯は湖だった。スキポールと言う地名は1447年9月11日付の古文でScipholと記されている。由来ははっきりしないが、木(scip;ゴート語)のある沼地を意味するという説や、羊飼いがハーレマーメーア(メーアは湖の意)の北東の角にあり、ラーハーヴァル(冷たい海風)が強く吹くこの土地を羊の地獄(Scheeps-hel)と呼んで避けたことから名づけられたと言う説がある。1848年にハーレマーメーアの干拓が始まり、1852年に完成した。この新しいポルダーの北東の角には「アムステルダムの防塞線」(Stelling van Amsterdam;1880年から1920年ころに作られたアムステルダムを防御するための135kmに及ぶ堤防・要塞網、現在世界遺産)のための要塞が作られスキポール要塞(Fort Schiphol)と呼ばれた。
1916年に戦争大臣(Minister van Oorlog)がアムステルダムの防塞線の端に位置するスキポール要塞に面した土地を、軍用空港のために購入することを了承した。同年の8月には最初の航空機が16.5ヘクタールの空港に着陸している。しかしこの空港は狭すぎることがすぐに明らかになり、76ヘクタールまで拡大された。
第一次世界大戦後は郵便、貨物、さらには旅客までもが、不要な軍用機を小改造してで輸送されるようになった。オランダも当然この状況を静観していたわけでなく、1919年10月にプレスマンによりオランダ及び植民地の王立航空株式会社(Koninklijke Luchtvaart Maatschappij voor Nederland en Koloniën N.V.;KLMオランダ航空の前身)が設立された。1920年5月17日よりKLMによるアムステルダムからロンドンへの定期旅客便の運行便が始まり、スキポールがアムステルダムにおける離着陸箇所となった。
1921年には乗客用の宿泊施設が完備され、きちんとした部屋を手配することが可能になった。多くの路線が開設され、より多くの、より大きな航空機が発着するようになった。しかしこれにより次第にこの空港の問題点が表面化する。十分な排水が行われていなかったため、飛行機が頻繁に泥湿地に沈んだのである。
しかし市民にとってこの空港はますます重要になっており、1926年4月1日にスキポール空港はアムステルダム市に買収される。市はすぐに空港の改良に取り組み、敷地や周辺道路の排水を良くしたほか、50m×100mの舗装エプロンを整備し、緑地が30ヘクタールまで増やされた。さらに旅客ターミナルと管制塔も建設された。
1935年には空港が180ヘクタールまで拡大され、高度の高い区域が増えたほか、200kmの排水溝が整備された。夜間の離着陸に備え照明が整えられ、舗装滑走路4本を備える空港に発展した。
1940年5月にはスキポールはナチス・ドイツによる空爆の対象となった。ドイツ軍は空港を占領し、さらにここを基点に軍を展開した。またドイツ軍はハーレマーメーア鉄道から直接空港内に乗り入れる鉄道を建設した。スキポール空港は戦争中に幾度と無く連合国の攻撃対象となり、使用不能となった。1945年5月ドイツの敗戦によりスキポール空港はオランダの手に戻り、集中的な修復工事により1945年7月8日にDC-3が再びスキポールに着陸できるようになる。数ヵ月後には空港は完全に修復された。
スキポールの需要は戦後急速に伸び、敷地不足は明らかであった。このため南部への拡大が決定される。 {stub}
[編集] 航空管制
種類 | 周波数 | 備考 |
CLR | 121.65MHz,121.975MHz,131.35MHz | |
GND | 121.7MHz,121.8MHz,121.9MHz | 121.7MHzは空港内の南西側 121.8MHzは空港内の北東側 121.9MHzは空港内の北西側 |
TWR | 118.1MHz,118.275MHz,118.95MHz,119.225MHz,362.3MHz | |
APP/DEP | 119.05MHz,121.2MHz,126.675MHz,339.475MHz,369.3MHz | |
ARR | 118.4MHz,131.15MHz | |
ATIS | 108.4MHz,122.2MHz,132.975MHz | 108.4MHzと132.975MHzはARR 122.2MHzはDEP |
[編集] 航空保安無線施設
局名 | 種類 | 周波数 | 識別信号 |
SPIJKERBOOR | VOR | 113.3MHz | SPY |
SPIJKERBOOR | DME | SPY |
[編集] 就航路線
[編集] 関係項目
[編集] 外部リンク
空港情報 (EHAM) |
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