スクーデリア・イタリア
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参戦年度 | 1988 - 1993 |
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出走回数 | 78 (ダラーラ) 14 (ローラとして) |
コンストラクターズタイトル | 0 |
ドライバーズタイトル | 0 |
優勝回数 | 0 |
通算獲得ポイント | 15 (ダラーラ) 0 (ローラとして) |
表彰台(3位以内)回数 | 2 (ダラーラ) 0 (ローラとして) |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
F1デビュー戦 | 1988年サンマリノGP |
初勝利 | - |
最終勝利 | - |
最終戦 | 1993年ポルトガルGP |
スクーデリア・イタリア (Scuderia Italia) は、イタリアで鉄鋼業を経営するジュゼッペ・ルッキーニにより設立され、1988年から1993年にはF1に参戦していたレーシングチームである。シャシーを自製することはなかった為、F1のレギュレーション上での「コンストラクター」にはあたらない。
[編集] 概要
当初はスポーツカーレースやラリー、ツーリングカーレースに参戦していたが、1988年よりダラーラ社にシャシー製作を依頼してF1参戦を開始した。
1989年のカナダGPではアンドレア・デ・チェザリスが、1991年のサンマリノGPではJ.J.レートがそれぞれ3位表彰台を獲得する健闘を見せ、中堅チームとしての地位を固めた。
1992年からはフェラーリからカスタマー仕様でエンジン供給を受けることとなったが、更なる飛躍を果たすことはできなかった。
翌1993年にはシャシーをローラ社製にスイッチするが、これが全くの戦闘力不足で、かつての名手ミケーレ・アルボレートをもってしてもテールエンダーを脱することは難しく、ついにこのシーズンをもってスクーデリア・イタリアは同じイタリアのミナルディチームとの合併の道を選ぶこととなった。
その後も1995年まではミナルディの支援を続けていたが、同年末にこの関係を解消し、F1界から去ることになった。以後はツーリングカーレース等に参戦をしている。
[編集] 在籍していたドライバー
- アレックス・カフィ (1988 - 1989)
- アンドレア・デ・チェザリス (1989 - 1990)
- ジャンニ・モルビデッリ (1990)
- エマニュエーレ・ピロ (1990 - 1991)
- J.J.レート (1991 - 1992)
- ピエルルイジ・マルティニ (1992)
- ミケーレ・アルボレート (1993)
- ルカ・バドエル (1993)
[編集] 関連項目
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