ソテジワアイドゥル
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ソテジワアイドゥル | |
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各種表記 | |
ハングル: | 서태지와 아이들 |
漢字: | - |
平仮名: (日本語読み仮名): |
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片仮名: (現地語読み仮名): |
ソテジワアイドゥル |
ラテン文字転写: | {{{latin}}} |
英語表記: | Seo Taiji and Boys / Taiji Boys |
現在のK-POPブームに重要な役割を果たしたグループである。「ソテジ」はリーダーの人名であり、「ワ」は「と」、「アイドゥル」は「子どもたち」の意である。従って「ソテジと仲間たち」くらいの意味である。
1992年にソ・テジ、イ・ジュノ、ヤン・ヒョンソクの3名でデビュー、ダンスと音楽を組み合わせた手法で人気を博した。それまでバラードやトロット(演歌)が主流であった韓国音楽界に革命を起こしたとされ、今なお伝説のグループとして韓国内の同業者からの支持が篤い。
デビューアルバムである1集『僕は知っている(ナン アラヨ、난 알아요)』は150万枚以上の販売を記録し、その年最高のスターとして頭角を現した。このアルバムは韓国音楽界において初めてラップ音楽を商業的に成功させたという評価がされている。このラップブームは相次いでデビュー、ヒットしたDEUX、キム・ゴンモといったミュージシャンに引き継がれた。
1993年 6月にはセカンドアルバム 『何如歌(ハヨガ、하여가)』を発表し、このアルバムも200万枚以上の販売を記録した。伝統音楽とラップ、ヘヴィメタルを融合した作風の表題曲『ハヨガ』が大ヒットした。このアルバムの発売後、一時期日本において活動し、日本版アルバムを発売している。
1994年 8月、サードアルバム『渤海 (国)|渤海を夢見て(パレルル クムクミョ 、발해를 꿈꾸며)』を発表し、これ以降ダンスミュージックからロックへとスタイルを変えた。かつて新羅の北に位置した渤海国を現在の朝鮮民主主義人民共和国になぞらえ、南北統一問題を韓国社会に喚起。当時統一問題に無関心であった韓国の若年層に強烈なメッセージを残した。
1995年 10月には、反体制を歌う「ギャングスターラップ」というジャンルを韓国で初めて紹介した4枚目のアルバム『come back home』を発表した。このアルバムに収録された『時代遺憾(シデユガム、시대유감)』が歌詞検閲制度より不適当と判断されると、アルバムから歌詞を一切削除し発売するという波乱があった。これを機に同制度は撤廃に向かったと言われる。
1996年1月、すでにカリスマ的地位を確立し人気絶頂であったが、突然グループの解体と引退を宣言した。
ソ・テジは引退状態の後ソロアーティストとして復帰、残るヤン・ヒョンソクとイ・ジュノは音楽プロデューサー業へ転向し、成功を収めている。
(韓国語版2004年8月22日版より一部訳、訂正、一部加筆)