ノート:タイムボカンシリーズ
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[編集] 「ブタもおだてりゃ木に登る」は創作か?
- 『「ヤッターマン」に登場したキャラクター「おだてブタ」による「ブタもおだてりゃ木に登る」の科白は、従前からの慣用句であるにもかかわらず、あたかもアニメの中のギャグが一般化した様な印象を与えている。』
「ブタもおだてりゃ木に登る」は、本文に書かれていたとおり従来説がある一方で、番組スタッフ等は「ヤッターマン」で誕生したオリジナルギャグであると主張しているようです。また、従来説の根拠となる『「ヤッターマン」以前の出自や例示』の記録というものはどうやらないようであり、「ヤッターマン」以前から存在したものだという断定は尚早かと思われますので、僭越ながら本文からこちらに転載しました。 2005年1月25日(火)11:21 inaiinaibar
図書館で5冊ほどのことわざ辞典を見たところ、『岩波ことわざ辞典』(2000年、ISBN 4-00-080099-X)にのみ「豚もおだてりゃ木に登る」が載っていました。昭和50年あたりから言い出すようになったようだが、掲載してる辞書はほとんどなく、ことわざとしての市民権は得ていない、と説明されています。放送がはじまった時期と一致するので、タイムボカンシリーズによってこのことわざが一般化した、ということは言えそうです。「豚の木登り」「猿も頼めば木に登らぬ」ということわざが辞典に載っていました。「豚もおだてりゃ~」はこの2つから考え出されたオリジナルギャグではないか、と知ったばかりの知識で想像します。morita 2005年1月27日 (木) 14:41 (UTC)
ありがとうございました。「豚もおだてりゃ~」はタイムボカンの放映時期から広まったということは、もともと存在した諺が番組で取り上げられて一般化したという訳ではなく、タイムボカンで産まれたギャグが広まったということも考えられますね。問題の、昭和50年ころより以前にこの諺が既にあったかどうかはやはり不明ということなのですね・・・。でも「豚の木登り」というものがそれ以前に存在していたのであれば、タイムボカンのスタッフがこれを元に作り出したと考え易いですね。ところでこの諺はどういう心なのでしょう?「おだてればしないこともする」というようなものであれば、まさしくこれが原型でしょうね。inaiinaibar2005年1月25日(火)11:21(UTC)
豚の木登りを調べてみたところ、全く反対の意味で「絶対にできないこと」「不可能なこと」「無理難題」等という意味でした。「木に登る」は、番組のスタッフがこの諺を逆手にとったギャグとして作ったのかも知れないですね。219.105.197.72 2005年2月2日 (水) 07:11(UTC)
[%83Y%81@%83%84%83b%83^%81[%83}%83%93%81z%20%82%BB%82%CC%82Rによると、監督の笹川ひろしが子どもの頃に、会津若松で使われてた言葉のようです。[1]によると、2001年2月27日(火)の毎日新聞のコラム「読めば読むほど~校閲インサイド」に笹川ひろしによる説明が書かれているようです。この新聞のコラムを見れる方がいれば、確認お願いします。morita 2005年2月2日 (水) 14:29 (UTC)
- 図書館で毎日新聞の記事を見てきましたが、昭和30年代ころに会津若松で使われてたという監督の短い発言が載ってるだけでした。--morita 2005年7月16日 (土) 11:51 (UTC)
大変興味深いお話ですね。諺というよりも洒落に近いギャグだったわけですね。笹川さんが子供の頃よく聞いたというおじさんが作ったものなのか、会津特有のギャグなのか。ちなみに「豚の木登り」については岩手や青森付近に伝わる諺だそうですが、同じ東北ですから似たような意味合いから発したフレーズなのかもしれませんね。inaiinaibar2005年2月3日(木)8:45(UTC)
「猿も煽てりゃ木に登る」がかなり以前からありましたから、それの東北版みたいですね。Miketsukunibito 2005年2月3日 (木) 00:07 (UTC)
[編集] 事実のみを書きましょう
「メインスタッフの交代が原因のひとつであるのは事実。それを貴様は隠蔽するのか」と香川のIPユーザーさんが編集しましたが、メインスタッフの交代、事実上はシリーズ構成の小山高生の降板ですね。これがシリーズ終了の原因の一つという根拠は? 「イタダキマン」関係の資料はあまりないんですが、アニメージュ1993年10月号付録の「タイムボカンOVA復活記念 やっておしまいBOOK」や「タイムボカン全集1・2」、「僕たちの好きなタイムボカンシリーズ」にはメインスタッフの交代により低視聴率・打ち切りになったなんてことは書いてないですし、小山高生も[2]や著書「霊はピチピチ生きている」でも打ち切りの原因について触れていません。ただ、総監督の笹川ひろしが著書「ぶたもおだてりゃ木にのぼる」のp276、MSNジャーナルでの[[3]で時間帯変更が低視聴率で打ち切りになったのではないかと推測しているだけです。自分の把握している範囲内だけですので、メインスタッフ交代でシリーズ終了になったという根拠となる信頼のおける資料があるのなら、提示して下さい。
なお、「メインスタッフが交代した」「シリーズが打ち切りになった」というのは独立した事象であり、「メインスタッフが交代したからシリーズが打ち切りになった」と因果関係を見出すのは、主観による解釈であり客観的ではありません。これが許されるなら、「田中真弓が主役をやった」「シリーズが打ち切りになった」という事実を結びつけて、「田中真弓が主役だったからシリーズが打ち切りになった」という主張だって成り立つわけです。ま、いずれにせよ、時間帯変更が原因という主張にはソースがあるのに、スタッフ交代が原因という主張にはソースはありません。「メインスタッフの交代が原因のひとつであるのは事実。それを貴様は隠蔽するのか」と言った以上、説明責任が生じますよ>イタダキマンでも盛んに編集していた香川のIPユーザーさん--Wing09 2006年9月17日 (日) 08:03 (UTC)
[編集] このアニメの放送されていた時代の、フジテレビの土曜日の夕方~夜間の視聴率について
10月21日に「なお、フジテレビで当作品の本放送が行われていた時代には、フジテレビの土曜日の夕方~夜間の視聴率は高いとはいえなかった。」云々の件がコメントアウトになっています。しかし、これは大筋では事実だと思います。
確かに「欽ちゃんのドン!とやってみよう!!」と「オレたちひょうきん族」は人気番組といえたので午後8時台(欽ドン放送時期は午後7時台後半も)はそこそこだったのでしょう。この意味では1980年代後半以降と同様です。これに加え、1981年以降は「ゴールデン洋画劇場」がありました(それ以前は連続ドラマが1時間ずつ放映されていることが多かったようです。しかし、この枠は1978年の「白い巨塔」を除くと、Gメン75等の裏番組ほどの視聴率は取れなかったようです。ただし番組の質は高かったようですが。ちなみにフジテレビが現代ドラマでTBS並みの存在感となるのは1980年代後半以降のようです)。この意味で1981年以降は1980年代後半以降並みだったはずです。しかし、問題は「タイムボカンシリーズ」に連続した時間帯です。1975年10月~1982年3月(つまり「タイムボカンシリーズ」放送のあった時代のほとんど)にはクイズ番組「ズバリ!当てましょう」がありました。後番組は同じくクイズ番組の「映像クイズ・ア!知ッテレビジョン」です。この2番組、後年の「平成教育委員会」や「サタ☆スマ」、さらには現在放送中の「脳内エステ IQサプリ」位の存在感があったでしょうか?否だと思います。
それ以上に、土曜の夜、「タイムボカンシリーズ」→「ズバリ!当てましょう等のクイズ」→「欽ドンORひょうきん族」→「ドラマ枠ORゴールデン洋画劇場」→「その後の午後11時台の番組(ミズノ提供のゴルフ番組が主だったようです)」→「FNNニュースとプロ野球ニュース」の視聴をする人・世帯。つまり夕方から深夜までずっとフジテレビ(またはその系列地方局)を見る人・世帯がどれだけいた(あった)でしょうか?
なお、こういう流れの視聴は、1980年代末以降なら普通ですが。1990年あたりなら「FNNスーパータイム」→「平成天才バカボン」→「所さんのただものではない!」→「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば」→「ゴールデン洋画劇場」→「ねるとん紅鯨団」→「FNN NEWSCOM」になります。こういう見方は1970年代後半や1980年代前半、あまり多くはなかったと思います。
あくまで私の主観ですが、1980年代後半以降の価値観でこの枠が人気番組枠とするなら、「タイムボカンシリーズ」終了後ずっとフジテレビ(またはその系列地方局)を見させるくらいの勢いが、当時のフジテレビなりタイムボカンシリーズにあることが要求されたと思います。 ただし、「タイムボカンシリーズ」の本放送時の大半の時代には、この番組は子供向けアニメとして考えられていました。当時の高校生や大学生など高校卒業後の青年層には「タイムボカンシリーズ」の人気は表向きには皆無に近かったでしょうし、小学生や幼稚園児なら午後9時前後には親に寝るよう言われる世帯が多かったと思いますが。
ただ、親が「ズバリ!当てましょう(1960年代当時は人気番組だったそうです)」と「欽ドン」が好きで、さらに午後9時以降のドラマ枠も他局よりフジテレビのものを好んでいれば、結果的に後年のような視聴になり、その突破口が(子供のチャンネル権行使の結果とはいえ)「タイムボカンシリーズ」になるのでしょうが。 2006年10月29日 (日) 01:26 60.39.233.45
- 事実でないから、コメントアウトにしたのではありません。たとえ事実であっても、出典が示されず検証できない論評は、Wikipedia:独自の調査とみなされて、除去されるのです。Wikipediaは研究発表の場ではないというただ、それだけのことです。あと、ノート欄にコメントされる場合は署名をお願いします。~(チルダ)が4つで署名とタイムスタンプが記されます。--Wing09 2006年11月3日 (金) 15:51 (UTC)
[編集] 三悪の分割
三悪に関する記述がやけに多いため、分割した方がいいのではないでしょうか?--匙詫 2007年3月16日 (金) 17:05 (UTC)
- 容量としては十分だと思いますが、リダイレクトページになるので三悪 (タイムボカンシリーズ)として分割すべきでしょう。--ヘチコマ 2007年3月17日 (土) 11:10 (UTC)
- ご指摘ありがとうございます。--匙詫 2007年3月20日 (火) 10:25 (UTC)
- けっこう人が来ませんね。もう少し、色んな意見が出るかと思ったのですが。ま、三悪 (タイムボカンシリーズ)の例もあり、この提案自体、完全ではなかったので、もうすこし、待った方がいいかも知れませんね。記事名は、反論が無ければ、三悪 (タイムボカンシリーズ)でいきましょう。--匙詫 2007年3月21日 (水) 11:30 (UTC)
- ご指摘ありがとうございます。--匙詫 2007年3月20日 (火) 10:25 (UTC)