プロ野球ニュース
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「スポーツワイド プロ野球ニュース」(すぽーつわいど・ぷろやきゅう・にゅーす)は、かつてフジテレビ系列で放送され、現在はフジテレビ739で放送されている、プロ野球を中心としたスポーツの情報を提供するテレビ番組である。
目次 |
[編集] 地上波時代(第1期)
第1期は、1961年4月1日にニュース番組の1コーナーとして「きょうのプロ野球から」のタイトルでスタート。
翌1962年に「プロ野球ニュース」に改題した。
その後、日本テレビが同時間帯に「プロ野球ダイジェスト」をぶつけて対抗。当時少なかった23時台の視聴者を奪い合った末、両者共倒れの形で1965年9月(もしくは10月)に一旦放送を打ち切ってしまう。
放送時間はスタート当初は23:15~23:35だったが、後に23:00~23:35→22:55~23:10に変わった。また、1964年までは翌7:00~7:20に再放送されていた(いずれもペナントレース期間中のみ放送だった)。
※なお、講演依頼.com マーティ・キーナートプロフィールによれば、最初から「プロ野球ニュース」のタイトルで放送していた等と書かれており、又、放送当時の映像が残っていない可能性がある等、番組自体の資料に乏しい為、不明な点が多い。
[編集] 放送再開までの経緯
「プロ野球ダイジェスト」を両者共倒れの形で打ち切った日本テレビは1965年11月「11PM」の放送を開始。瞬く間に人気番組に駆け上り、23時枠は同局の一人勝ち状態が10年程続いた。
これに他局もより報道色の強いワイドショー番組等で対抗するものの、すぐに「11PM」以上のお色気路線に転向したNET(現・テレビ朝日)の「23時ショー」が辛うじての成功例で他は全く歯が立たない状態だった。
しかし「11PM」の視聴率が1975年頃から落ち始め、それに合わせるかの様に地方局が相次いで「11PM」のネット放送を打ち切った。
その状況にプラスして「万年下位」と言われた広島東洋カープが初優勝、阪急ブレーブスが初の日本一、一方で読売ジャイアンツが球団史上初の最下位からの立ち直りを期して張本勲を補強する等1976年のプロ野球の盛り上がりが開幕前から期待されていた。
そう言った状況下なら、充分「11PM」と五分以上の勝負になると踏んで復活させる事になった。
この時の局側の反応については不明だが、恐らく当初は放送再開には消極的だったのではなかったかと思われる。
又、1976年の放送再開(後述)当初にも翌朝に再放送されていた事を考えると第1期のスタッフも何人か関わっていたと思われる。
[編集] 地上波時代(第2期)
そして、10年半のブランクを経て1976年に日本初の本格的スポーツニュースワイド番組「スポーツワイドショー プロ野球ニュース」として再スタートした。放送時間帯は主に23時台のFNNニュース最終版(1968年~1977年放送)→FNNニュースレポート23:00(1977年~1987年放送)の終了後。
初代の総合司会(平日)は佐々木信也。元高橋、大映、大毎で4年間プレーした経験を元に脚で稼ぐキャスターとして人気を博し、1988年3月の勇退まで12年間総合司会の地位を築いたが、その後、スーパーバイザーとして務めた(なお、理由は不明だが、局側は公式には1976年開始、初代キャスターは佐々木としている。また、佐々木は第1期放映当時はNET(日本教育)テレビ=現・テレビ朝日や日本テレビで解説者として出演していた)。
週末に関しては初代からはらたいら→土居まさる→押阪忍→みのもんたと1988年までに4人代わっている。中でも、はらは番組開始から3ヶ月担当したが、本業の漫画家との兼ね合いで生放送に出演することが難しくなった事から途中降板したと言う。又みのの語りによる「プロ野球珍プレー・好プレー大賞」は同番組の看板企画として定着し、ついには不定期ながら独立番組となるまでに至った。
1980年代に入ると「今日のホームラン」と題したその日の公式戦全ホームランを映像リプレーするコーナーが番組の末尾に行われた。その中でも初期のコーナー・テーマソングであったジェームス・ラスト・バンドの「VIBRATIONS(ヴァイブレイションズ)」は特に人気があった(シングル・カットもされている)。又、シーズンオフにはクイズ大会、選手の旅行企画、バラエティー等の企画コーナーを日替わりで放送し、プロ野球選手の隠れた素顔を披露した。中にはそのまま独立番組として番販できそうなコーナーまであった。有名なところでは古田敦也を中心とした(関西テレビが企画)昭和40年会(昭和40年生まれのプロ野球選手が集まって何らかの行事を行う)がある。
なお、それ以前にも早朝の放送開始前後(5-6時台)に前日分の再放送が実施されていたが、1986年の4月~9月頃?には、同番組の30分ダイジェストバージョンとして、「朝のプロ野球ニュース」(午前6:00~6:29、5:45~6:30等、フジ、東海テレビ、関西テレビ以外に、UHB等一部の地方局でも一時期放送されていた。実質上はFNS系でも放送されなかった局が多い)が放送されていた。一時期は最後だけ佐々木氏が「いってらっしゃ~い!」というシーンに差し替えられていたという。
1987年度は「FNNニュース工場」→「FNNデイトライン」にインサートする形(一部ネット局ではこの「プロ野球ニュース」のコーナーだけネットしたものもある)で放送されたが、1988年4月から「FNNデイトライン」と合わせた「FNNニュース最終版」という一つのワイドゾーンを形成するものの、実質的には独立番組に戻り、平日はまずこの番組から、週末は「FNNデイトライン」の後から放送した。1990年4月からは、全曜日とも「FNN NEWSCOM」終了後からの放送となって完全に独立化。
1994年4月、「ニュースJAPAN(平日)」「スポーツWAVE(週末)」のそれぞれ1コーナーとなり、事実上再び深夜のニュース・情報番組のインサートする形式に戻った。しかし、このときは完全にインサート先の番組の一コーナー的な扱いとなっており、FNN加盟局以外でのネットは不可能となった。これに伴い、それまで系列外でネットを実施していた日本テレビ系の一部地方局(クロスネット局で最終便ニュースをNNNから受けるテレビ宮崎含む)は全てネットから離脱し、丁度同時期にスタートした日本テレビのスポーツ番組「どんまい!!スポーツ&ワイド」に移行した。また、これと同時に「スポーツワイド」の冠がタイトルから剥され、「プロ野球ニュース」にタイトルを戻した。平日版は『ニュースJAPAN』が優先されるためこの時から時間短縮を余儀なくされセ・リーグ(特に巨人戦や阪神戦)では従来の解説と実況付きのスタイルで放送する一方で、重要度の低い試合では試合内容を大まかに伝えるのみと言った内容になっていった。また緊急時や重大ニュースが入った場合は大幅に放送時間をカットされることもしばしばあった。
翌1995年に「スポーツWAVE」終了に伴い、週末のみ再々独立。その後日曜放送分は、1997年4月に「グレードA」放送(この為毎週日曜日の同枠には新ボキャブラ天国が放映された)の為一旦終了するも、半年で復活。
2000年4月から、平日分も「ニュースJAPAN」の1部と2部の間に挟んだサンドイッチ方式の形で実質再々独立し、タイトルも「プロ野球ニュース2000」となった。しかしこの頃になるとプロ野球人気に陰りが見え始め、プロ野球以外の内容に割く時間の方が多くなり、番組タイトルとの乖離が目立ってくる。
そして、2001年3月で地上波版終了(事実上2度目の放送打ち切り)。その後「感動ファクトリー・すぽると!」に移行する。その背景としては、プロ野球人気の低迷でメジャーリーグやサッカー(欧州、W杯)や格闘技(K-1、PRIDE)などにも重点を置くようになったことが挙げられる。また、プロ野球以外のスポーツ選手の一部から「プロ野球ニュースという番組名の番組に、なぜプロ野球選手ではない自分が協力しなければならないのか」との理由で、インタビューなどを断られることが増えてきたことも影響したと言われている。
[編集] 歴代キャスター(地上波)
[編集] 第1期
- 1961,04-?:鳥居滋夫
[編集] 第2期・平日
- 1976,04-1988,03:佐々木信也
- 1988,04-1991,03:野崎昌一、須田珠理
- 1991,04-1992,03:野崎昌一、石川小百合
- 1992,04-1993,03:中井美穂
- 1993,04-1994,03:中井美穂(火~土)/田尾安志、森口博子(月)
- 1994,04-1995,03:福井謙二、志岐幸子
- 1995,04-1996,03:福井謙二、西山喜久恵
- 1996,04-1997,03:福井謙二、西山喜久恵(月~水)、木佐彩子(木・金)
- 1997,04-1998,03:福井謙二、西山喜久恵
- 1998,04-1999,03:福井謙二、西山喜久恵(水~金)、木佐彩子(月・火)
- 1999,04-2000,03:木佐彩子
- 2000,04-2001,03:三宅正治、宇田麻衣子(月・火)、荒瀬詩織(水~金)
[編集] 第2期・週末(一時平日とは別の番組名で放送された時期あり)
- 1976,04-1976,06:はらたいら
- 1976,07-1977,12:土居まさる
- 1978,01-1980,03:押阪忍
- 1980,04-1986,03:みのもんた
- 1986,04-1988,03:みのもんた、大島智子(現・さと子)
- 1988,04-1992,03:中井美穂、大矢明彦、平松政次、谷沢健一
- 1992,04-1993,03:田尾安志、福井謙二
- 1993,04-1994,03:森脇健児、八木亜希子、関根潤三(日)
- 1994,04-1995,03:高田延彦、陣内貴美子、川端健嗣(土)/湯原信光、田尾安志、木幡美子(日)(この時期のみ週末版は「スポーツWAVE」として放送)
- 1995,04-1996,03:パンチ佐藤、中村江里子(土)/田尾安志、陣内貴美子、斉藤英津子(日)
- 1996,04-1997,03:パンチ佐藤(土)、田尾安志(日)、西山喜久恵(土・日)
- 1997,04-1998,03:木佐彩子(土→1997,10より土・日)
- 1998,04-1999,03:長嶋一茂、中村江里子
- 1999,04-2000,03:長嶋一茂、荒瀬詩織
- 2000,04-2001,03:田尾安志、大久保博元、大橋マキ
[編集] キャスター変遷に関する補足
- 佐々木信也、みのもんたの担当の頃には夏季休暇および体調不良による不在時の代役としてとんねるずが出演していた時期がある。
- 1990年4月:元巨人・高田繁の娘・高田雅代や女優・愛田夏希、現在ラジオパーソナリティーの門脇知子らをレポーターとして起用(~1992年)。
- 1992年4月:明石家さんまがイレギュラーで出演(~1993年3月)。
- 1993年4月:F1担当として月曜に古舘伊知郎、火曜日にはコメンテーターとして森末慎二がレギュラー出演(~1994年3月、途中から濱田典子・平松あゆみ両アナもコーナー担当として参加)。
- 1995年:阿部知代・奥寺健・富永美樹両アナがコーナー担当として参加(~1996年)。
- 1997年4月:日曜版のプロ野球ニュースが一旦終了、とんねるず総合司会によるスポーツ情報番組「Grade-A」が日曜22時台で放送開始(~9月、同番組終了後、日曜版の放送を再開)。
- 1998年:藤村さおり・桜井堅一朗両アナがコーナー担当として参加(~2000年)。
- 2000年4月:月曜にパンチョ伊東(PANCHO)、陣内貴美子がコメンテーター・コーナー担当としてレギュラー出演(~2001年3月、途中より森昭一郎・伊藤利尋・竹下陽平・西岡孝洋・相川梨絵・安藤幸代各アナもコーナー担当として参加)。
[編集] CS時代
地上波での放送終了を受け、2001年4月からSKY PerfecTV!・SKY PerfecTV!2(現e2 by スカパー!)のフジテレビ739で新生「プロ野球ニュース」が始まった。CS移行時に、週末限定ではあるが佐々木信也がキャスターに復帰。その他の曜日は解説者がキャスターを務める形式に変わった。
プロ野球中心のスポーツニュース番組だったフジテレビ時代とは違い、フジテレビ739ではほぼプロ野球専門の番組となった。(他にはメジャーリーグの日本人選手の成績を伝える程度) プロ野球の試合がある日は毎日放送されるが、オフシーズンは原則週1回の放送になる。
試合解説のVTRは、権利関係の問題からフジテレビが収録した試合を除いてJ SPORTSをはじめとするCS放送局の映像を使う事が多く、そのため実況時のテロップやアナウンスが載ったまま、という問題がある。
解説には主にフジテレビ解説者が登場するが、土橋正幸や笘篠賢治などフジテレビ専属ではない解説者も度々登場する。
また、フジテレビ専属解説者である江本孟紀は「ギャラが安いから」(本人の弁)と言う理由で出演しない。
2006年5月12日より、フジテレビ On Demandにおいて有料配信が始まった。(1回分105円、または月1050円) ただし、現在は巨人・横浜主催試合の映像に関する部分は両球団からの著作権許諾が開始当初得られなかったので配信されない。
なお、番組内で野球シーズンに流れる「今日のホームラン」の字幕は地上波時代からものが、使用されている。
[編集] 現在の放送時間・内容
- (2006年オンシーズン)
- 放送 毎日23:00~23:50
- 再放送 毎日25:00~25:50、日曜~金曜 6:00~6:50・15:00~15:50
- 再々放送 土曜6:00~11:50 (前週土曜から金曜までの放送分を連続して放送する)
- プロ野球の試合予定がない日は放送休止(代わりに前日分を再放送)、土曜の再々放送はその分終了時間が繰り上がる。
- キャスター (火)平松政次 (水)高木豊 (木)谷沢健一もしくは斉藤明夫 (金)大矢明彦 (土・日)佐々木信也
- (2006年オフシーズン)
- 初回放送 土曜23:00-23:50
- 再放送 日曜1:00-1:50、6:00-6:50、11:00-11:50、月曜6:00-6:50
- キャスター・佐々木信也
- (2007年オンシーズン)
- 放送 毎日23:00~23:50
- 再放送 毎日25:00~25:50、6:00~6:50・11:00~11:50
- プロ野球の試合予定がない日は前日分を再放送あるいは放送休止となる。
- キャスター (火)平松政次、蒼井里紗 (水)高木豊、信澤美穂 (木)谷沢健一、相川梨絵 (金)加藤博一、蒼井里紗 (土・日)佐々木信也
- 番組内容(2007年オンシーズン、試合解説以外)
- メジャーリーグ情報
- その日行われた日本人メジャーリーグ選手の情報。日曜日には一週間の情報をまとめて「YOMOYAMA USA」となる。
- 今日のホームラン
- ジェームスラストバンド「バイブレーション」に乗せて。コーナーオープニングの画面は第2期時代のものをそのまま使用。映しだされる球場は横浜スタジアム
- おれの一面
- その日行われたプロ野球の中からキャスターが選んだプレーをリプレイする。昨年までの「play of the day」をリニューアル。
[編集] 主な歴代解説者
- ※●印を付した解説者は、2007年シーズン現在の解説者。また○印を付した解説者は第1期放送時の解説者。
[編集] フジテレビ |
[編集] 東海テレビ[編集] 関西テレビ |
[編集] テレビ新広島[編集] テレビ西日本[編集] その他※土橋正幸は1990年代半ばまでは専属解説者。 |
[編集] 主な歴代試合結果報告アナウンサー
- ※●印を付したアナウンサーは、2007年シーズン現在の試合結果報告アナウンサー。
[編集] フジテレビ
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[編集] 関西テレビ
[編集] 東海テレビ
[編集] テレビ新広島[編集] テレビ西日本 |
[編集] ニッポン放送(CS時代)[編集] フリーアナ(CS時代) |
[編集] オープニングタイトルの遍歴
- 第1期 不詳
- 第2期初期(1970年代後半) アニメーションフィルムによるもので、走攻守をイメージしたシルエットから野球ボールがアップに映り、更に後楽園球場の全景写真が出てタイトルを出すというものだった。BGMに打撃音と観客の拍手・歓声→テーマソング「ライツアウト」を交えた。
- 第2期2代目(1980年代前半) 打撃音のBGMとともにナイター照明灯をイメージしたアニメーションがフラッシュ。打撃フォームをイメージしたと思われるシルエットを写した後、ストライプの模様が映し出されタイトルに。
- 第2期3代目(1980年代中盤) コンピュータグラフィックを採用。投手の投球フォームがスポットライトを浴び、次に野球場の映像が登場。グラウンドを1塁から2塁へ回ると同時に、上空からのグラウンド全景とフレームインする形で、野球選手の打撃フォームをイメージしたグラフィックとともにタイトル。BGMは1985年ごろまではライツアウトだったが、後に新田一郎作曲のフジテレビスポーツ中継共通のテーマソングに。
- 第2期4代目(1980年代後半) コンピュータグラフィックのアニメーション。野球場で投手が投球し、その球を打者が打ち、それを投手?が捕球するところでタイトルが出た。
- 第2期5代目(1990年代前半) 未来の野球場をイメージしたコンピュータグラフィックのアニメーション。ドーム球場の屋根が開けられるシーンもあった。オフ企画の12球団対抗クイズにて「オープニング画面のドーム球場の外の天気は?」という問題が出題されたことがあった(正解は「曇り」)。
- 第2期6代目(1994年度) ニュースJAPAN、スポーツWAVE内包時代のもので、ランナーが盗塁するイメージのシルエット画像(実写と思われる)を使用した。
- 第2期7代目(1990年代中盤ごろ) 色とりどりの水玉が登場したアニメーション。野球の試合そのものの映像らしきものは無かった。
- 第2期8代目(1990年代後半) 投手の投球フォームのシルエットをコンピュータグラフィックを交えて描いた。
- 第2期9代目(2000年度) 硬式野球ボールを縫い付けるシーンから打者がそれを打つ場面。バックは神宮球場の写真。
- CS時代 (書きかけです。情報請う)
[編集] 地上波時代のテーマ曲
- ライツアウト(Lights Out March 作曲: Earl.E.McCoy)
- フジテレビスポーツテーマ(作曲:新田一郎)
- Dynamite(KIX・S)=1996年4月~9月
- flower(L'Arc~en~Ciel)※1=1996年10月~1997年3月
- born in japan(TUBE)※1=1997年4月~1997年9月
- Hands(シャ乱Q)=1997年
- Dreams(SIAM SHADE)=1998年4月~9月
- MIND GAMES(ZARD)
- SUNRISE日本(嵐)=2000年4月~12月(「プロ野球ニュース2000」時代)
- ~dandelion~(相川七瀬)※2=2001年1月~3月
- ※1 1997年3月10日のお台場移転初日まで使用したが、メンバー不祥事で使用中止となった。
- ※2 2001年開幕時、最終回以外の放送では「今日のホームラン」のBGMにも使用された。
[編集] スタジオのセット
- 1985年秋頃まではFNNニュースレポート23:00(23:30)のスタジオと共有していたため、両番組の司会者が談笑するシーンがニュースレポートのエンディングで一部地域放送されていた。
- その当時はいわゆるクロマキー(画像合成のためのグリーンバック)が使われ、4面マルチ画面(右下に司会者が座るため、その部分だけは緑色になっていて、他はそのニュースに関する写真を挿入)が取り入れられた。
- 1985年秋頃からクロマキーを廃止し、野球ボールをイメージした巨大パネルにタイトルが入れられた。これは1987年に放送された「FNNニュース工場」の時代にもスタジオが共有されたため、ニュースコーナーの時は「ニュース工場」のパネルに差し替えられた。司会者席を中心に左右両方に試合レポーター(解説者、アナウンサー)席が設けられた。
- 1987年10月からのFNN DATELINEインサート時代はDATELINEのセットをそのまま使用した。
- 1988年度と1989年度はバックに東京ドームの写真パネルを張ったセットが使われた。また解説者やゲストコーナー用にリビング風のセットが使われ、土・日曜日の司会者席に使われた。
- 1990年度から1992年度は銀色一色のセットが使われた。(一時期関西テレビ放送のスタジオから火曜日と水曜日を放送したことがあった。これは当時コメンテーターとして番組進行を携わった西本幸雄の出演スケジュールの都合によるもの)
- 1993年度は基本的には東京ドームの写真だが、伝える競技によってF-1のレースカーやサッカー場の写真などに差し替えられるようになっていた
- 1994年度から1999年度は平日はニュースJAPANのセットと共有。土・日曜は別のスタジオが使われた。平日セットには客席が設けられているが、一般視聴者には開放せず、レポーターが本番前の控えとして使っていた。
- 2000年に実質的に分離されてからは平日も別のスタジオを使用した。
[編集] 主なシーズンオフ企画
- ※全て地上波(第2期)時代のものとなっている。
- ※解説者が担当した企画もあり、後に他局のスポーツ番組のほとんどにもこの形式を採用している。
- カネやん(金田正一)招待席
- わがふるさと(1976年~1989年)
- アラさんのバッティング談義
- トヨさんの家庭訪問
- 異色対談
- 憧れ対談
- クイズまとめてホームラン!
- 12球団クイズトーナメント
- 特別出前表彰式
- 思い出のベストプレー
- バットマンズが行く(→バットマン2)
- THREE CHEARSプロ野球本格的真価論
- プロ野球アンコールシアター(→プロ野球プレビューシアター)
- トークシャワー(→金曜TASTY CLUB→中井写真館)
- フラッシュバックTHIS WEEK
- ゴルフミックスダブルス
- 一枚の写真
- エキサイトライブ・ザ・講演!
- クイズ・プロ野球ただいま授業中!
- カモと苦手
- プロ野球プレビューシアター
- 博一・直美の 今夜もチャチャチャ
- 今夜もピンポン
- 博一・兄やんの今夜もイキますイカせます
など
[編集] 関連番組
- プロ野球ニュース19XX
- フジテレビ739で不定期に放送される他、J SPORTSのプロ野球中継が雨で中止となったときの予備番組としても放送される場合がある。
- 過去に「プロ野球ニュース」で放送したVTRから名場面を放送したり、シーズン終了後にはシーズンを総括する企画も放送される。
- 年末年始の特別企画
- 年末年始には、フジテレビ739でプロ野球ニュースの特別番組が放送されている。
- 番組内の企画「Play of the Day」「今日のホームラン」を1年分まとめて放送する番組は毎年放送されている。
- また両リーグの覇者(2006年は日本ハム・中日)の日本選手権シリーズまでの全試合のダイジェストをまとめた番組も中断をはさみながらほぼ一日かけて放送される。
[編集] 主なスポンサー
基本的に30秒1本ずつのCMを提供していたが、1988年3月まではスポンサーのクレジット読みがあった。それ以後は「ご覧のスポンサー」のコメントのみとなった。
- RYOBI
- MINOLTA
- SHISEIDO
- HONDA
- JT日本たばこ
- NISSAY
- TOSHIBA
- 横浜ゴム
- アサヒビール
- SONY
- 武田薬品
- サントリー
- JR西日本
- クラリオン
- 佐川急便
- RICOH
- 新日本製鐵
- ANA
- アートネイチャー
- 新興産業
- ナイキ
[編集] 地上波時代の主なネット局
※無印=同時ネット、★=時差ネット、■=1994年のニュースJAPANへの内包に伴いネット不可能となった局、●=第1期から放送していた局、○は第1期のみ放送の局
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[編集] 追記
- 福島テレビはJNN(東京放送系列)とのクロスネット局時代もJNN系列協定で放送必須番組であったJNNスポーツデスクをネット受けしないで、この番組を配信した。(ちなみにその前のJNNニュースデスクもネットせずに、ローカルニュース番組の「FTVニュース」を自社製作した)
- また、山口県ではJNNとFNSクロスネット(後FNS撤退)であったテレビ山口では「JNNスポーツデスク」→「JNNスポーツチャンネル」を編成したため放送せず、KRYで番販放送した。これはTYSが特番編成の都合上これらJNN系列協定必須番組が繰り下がって、プロ野球ニュースを同時放送することが困難だった事と、KRYが「11PM」のネットを打ち切ったため、この時間に放送する番組を確保する必要があったという説が考えられている。
- 大分県では、放送当時未放送だった(本来ネットした方が自然のテレビ大分がクロスネット局であるにも関わらず、スポーツニュースも日本テレビ発のものをネットしていたため。)。
- 1987年度はFNNニュース工場→FNN DATELINEの1コーナー(1988年度・1989年度はコンプレックス枠のFNNニュース最終版の1番組だったが実質独立)として放送されていた時代、系列外のRAB、YBS、KRY、RKCの各局と、クロスネット局で一般ニュースをNNN(NNNきょうの出来事)から受けていたKTN、UMKの各局はプロ野球ニュースのコーナー部分のみをネット受けしていた。なお、ニュース工場初日は三井物産マニラ支店長・若王子信行さん誘拐事件で若王子さんが無事発見されたニュースに時間を割きプロ野球ニュースの放送時間帯もそれを放送したことから、プロ野球ニュースはFNNフルネット局向けに番組の末尾にオープン戦の結果のみを伝える形となってしまった。
[編集] テレビゲームとのタイアップ
かつては、テレビゲームソフト「パワーリーグ」シリーズ(発売元:ハドソン)とタイアップしていた事もある。
[編集] スーパーファミコン
- スーパーパワーリーグ 1993年
- 出演
- 中井美穂
- スーパーパワーリーグ4 1996年
- 出演(声のみ)
[編集] PC-FX
- スーパーパワーリーグFX 1996年
- 出演
- 福井謙二
- 小島奈津子
[編集] 関連項目
- プロ野球
- プロ野球解説者一覧
- すぽると!
- BASEBALL SPECIAL~野球道~(試合中継番組)
- SWALLOWS BASEBALL L!VE(東京ヤクルトスワローズ主催試合中継番組)
- プロ野球中継
- プロ野球トップ&リレー中継
[編集] 外部リンク
- 広報ページ:プロ野球ニュース(フジテレビ739)
- フジテレビ On Demand・プロ野球ニュース
- プロ野球ニュース(フジテレビ)