ダマスカス鋼
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ダマスカス鋼(ダマスカスこう、英: Damascus steel)とは、かつて生産されていた木目状の模様を持つ鋼素材の名称である。強靭な刀剣の素材として知られるが、製法があまりはっきり分かっていないことから、伝説的あるいは神秘的なものと思われていることもある。
この鋼材が生産されたのはインドのウーツであるが、それがシリアのダマスカスで刀剣等に加工されたのでダマスカス鋼として西欧世界に知られるようになった。
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[編集] 概要
現在は異なる2種類のものに同一の名称が用いられている。本来のダマスカス鋼による刀剣などの製品は10世紀頃から18世紀頃まで現在のシリアにあたる地域で製造されていたが、現在はインドでの鋼材の製造法など、製造技術が失われている。
- ウーツ鋼とも呼ばれる高炭素鋼材、インドの一部地域に由来する鉄鉱石を原料とする。その特殊な不純物の組成から、坩堝内で製鋼されたインゴット内にカーバイド(Fe3C)の層構造を形成し、これを鍛造加工することにより表面に複雑な縞模様が顕れる。刀剣用の高品質の鋼材として珍重された。その後の学術的な研究により、ほぼ完全な再現に成功していたと思われていたが、ドイツのドレスデン工科大学のピーター・ポーフラー博士を中心とする研究グループによる調査で、ダマスカス鋼からカーボンナノチューブ構造が発見された[1][2]ことで、現代のダマスカス鋼の再現は完全で無いことが判明した。
[編集] ダマスカス刀剣を再現する試みについて
ダマスカス刀剣の製法は約200年前に途絶えており、現存するダマスカス刀剣を解析することにより、当時の製法で同等の刀剣を鍛造する試みは数々行われてきた。その中で、材料工学者のJ.D. Verhoeven氏とナイフメーカーのA.H. Pendray氏による、当時の技術によるダマスカス刀剣の製法は再現性が非常に高い。[1][2] この研究のユニークな点は、刀剣のみの再現ではなく、当時の技術を用いた製造法自体の再現を行っているところである。 まず、鉄鉱石に木炭や生の木の葉をるつぼに入れ、炉で溶かした後坩堝を割ると、ウーツ鋼のインゴットを得る。 次に、ウーツ鋼からナイフを鍛造する。 ダマスカス刀剣の特徴となるダマスク模様として炭素鋼の粒子が層状に配列するためには、鋼材に不純物として、特にバナジウムが必要であったとされる。このことから、ウーツ鋼とダマスカス刀剣の生産が近代まで持続しなかった原因を、インドに産したバナジウムを含む鉄鉱石の枯渇に帰する推測を行っている。また本研究では、この模様の再現についても検討を行っている。鍛造中のナイフ表面に縦に浅く彫り込みを入れた後に鍛造を行うことで、彫り込みの形状に沿った模様が生じた。直線状に彫り込んだ場合ははしご模様(Ladder Pattern)、丸く彫り込んだ場合はバラ模様(Rose Pattern)が生じる様が報告されている。
[編集] 伝説やフィクションにおけるダマスカス鋼
日本では、一部のナイフ・刀剣愛好者を除いては実在のダマスカス剣が殆ど知られていない処に、ファンタジー系のRPGなどでマジックアイテムとしてダマスカス剣が登場したことなどから、オリハルコン、ミスリル銀などと同類の伝説ないし架空の存在と誤認され、現実離れした古代超技術のイメージでのみ語られることが多い。
- これについては、ゲーム雑誌や解説書の類ではこの件に限らず現実の武具を無視するような記事が少なくなかったことに原因の一部があると見られる。またこのような誤解の発端は、儀礼的な意味合いで用いられたクリス(マレーシア・インドネシア地方の伝統的短剣で、女性格の物は剣全体が大きくうねっている極端なフレイムタン形状になっている)の中に、少なからずダマスカス鋼で製作された物が見られる事から、この辺りのイメージより、ゲーム内で「幽霊などに直接攻撃を加えられる特殊な剣」という扱いを受けた辺りで混乱して伝わった可能性も挙げられる(→ダンジョンマスター)。ちなみにジャワ島のチルボンには、隕鉄を鍛えて作った珍しいクリスが伝えられているという話もあり、これが誇張された可能性もある。
たとえば、一説には真のダマスカス鋼は製造方法などが一切残っていない謎の合金で、全く錆びる事がなく、刀剣にした場合は『柳のようにしなり、人を斬っても切れ味が落ちず、鉄をも簡単に斬ることが出来る』と伝えられている、などとされる。
そのため、これを真に受け、実在のダマスカス剣をオーパーツ(場違いな遺物)の一つと主張する者も居る。しかし、実際に売り文句通りの錆びず強固な刀剣であるならば、何故それらがことごとく失われ現存していないかこそがダマスカス剣最大の謎といえよう。勿論、そのような剣が実在しているとする報告も聞かれない。
- 今日のナイフビルダー(ナイフを作る作家)の中にも、模様の美しさからダマスカス鍛造に取憑かれ、これを好んで製作・利用する作家もあり、鍛造技法が失われたと言う事自体、全く根拠が無い。なお現代の作家の中には、鍛造した層の中に星条旗を織り込むと云う超絶的な技法を持つ者も居る。
なお「伝説のダマスカス鋼」は、鉄を極限まで精錬した、純鉄に近いものではないか?とする(超古代文明説支持者の)意見もあるが、純鉄であるならば鋼や合金とは呼べず、そもそも柔らかくよく延びる、刀剣製造に全く適さない素材である。これを純鉄と云う条件をそのままに硬度を上げることが出来るので在れば、それこそ現代冶金学の理解の域を超えてるとも言える。このような説は、現存するダマスカス鋼の分析の上では、否定的に扱われている。
ドナルド・タイスンの著した偽書「ネクロノミコン―アルハザードの放浪」にもダマスカス鋼への言及があり、深きものどもによって精錬された隕鉄であるとしている。
[編集] アショーカ王の柱
インドのデリー郊外にあるイスラム教礼拝所など歴史的建造物が集まっているクトゥブ・コンプレックス(Qutb Complex)内には、紀元415年頃に作られたと見られている鉄柱「アショーカ王の柱」(デリーの鉄柱、チャンドラバルマンの鉄柱とも呼ばれる)がある。この鉄柱は1600年に渡って雨ざらしの状態であるにも関わらず錆びていないとして良く知られている。ダマスカス鋼が錆びにくいということから、この柱はダマスカス鋼ではないかと考えられたこともある(もっとも、ダマスカス鋼は「錆びにくい鉄」であって「錆びない鉄」ではない)。
[編集] 関連項目
[編集] 本文注
- ^ M Reibold et al. Nature 2006, 444:286
- ^ Carbon nanotubes: Saladin’s secret weapon - Natureに基づいたRSCによる記事]