デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン (海防戦艦)
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デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン | ||
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艦歴 | ||
起工 | 1908年2月7日 | |
進水 | 1909年3月15日 | |
就役 | 1910年10月6日 | |
大破 | 1942年2月18日 | |
その後 | 1942年3月2日自沈。 浮揚後、1943年に再度自沈。 |
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要目 | ||
艦種 | 海防戦艦、後に練習艦 | |
艦級 | デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン級 | |
排水量 | 基準排水量 | 5,644t |
満載排水量 | 6,500t | |
全長 | 101.5m | |
全幅 | 17.1m | |
吃水 | 6.15m | |
機関 | レシプロエンジン8缶 2軸推進 | 8,500hp |
速力 | 16ノット | |
航続距離 | 5,100海里(8ノット時) | |
乗員 | 448~452人 | |
武装 | 280mm単装砲 | 2門 |
150mm単装砲 | 4門 | |
75mm単装砲 | 10門 | |
75mm迫撃砲 | 1門 | |
37mm機関砲 | 4門 |
デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン(De Zeven Provinciën)は、オランダ海軍の海防戦艦(Pantserschip)である。
就役後は、オランダ本国に配備されていたが、1921年にインドネシアに配備された。1933年2月4日艦上で反乱が発生したが、14日に空爆により、犠牲者23人を出して鎮圧されている。この空爆自体は、警告弾が誤って直撃したものであるとも考えられている。1936年、スラバヤ(Soerabaja)と改名、同時期に練習艦となる。
第二次世界大戦勃発後の1942年2月18日、空襲により大破。日本軍のジャワ島上陸の翌日となる3月2日に自沈した。その後、日本軍によって浮揚され、使用可能であった兵装の回収後、再度自沈している。