トイレットペーパー騒動
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トイレットペーパー騒動(トイレットペーパーそうどう)とは石油危機をきっかけとする物資不足が噂されたことによる買い付け騒動。
[編集] 概要
1973年10月16日、産油国が原油価格を70%引き上げることを決定したため、当時の通産大臣中曽根康弘が「紙節約の呼びかけ」を10月19日に発表した。 このため10月下旬には「紙がなくなる」という噂が流れはじめ、1973年11月1日午後1時半ごろ、大阪千里ニュータウンの大丸ピーコックストアの宣伝用の特売広告に、(激安の販売によって)「紙がなくなる!」と書いたところ、突然300人近い主婦の列ができ、2時間のうちにトイレットペーパー500個が売り切れたことから始まった。
その後に来店した客が広告の品物がないことに苦情をつけたため、店では特売品でないトイレットペーパーを並べたところ、それもたちまち売り切れ、噂を聞いた新聞社は「あっと言う間に値段は二倍」と書いたため、さらに騒ぎは大きくなった。
当時は第四次中東戦争という背景もあり、原油の高騰により紙が本当に無くなるかもしれないという不安心理から、各地で噂が飛び火し、行列が発生したため、マスコミにも大きく取り上げられ、パニックは全国に連鎖的に急速に拡大した。高度経済成長で大量消費に慣れていた人たちが、初めて「物不足の恐怖」に直面したために起こったパニックとも言われている。パニックの火付け役は新聞の投書だとする説もある。
ただ、この当時、日本の紙生産は安定しており、実際には生産量自体は同流言飛語が全国的に広まるまで、ほとんど変わっておらず、パニックが発生した後は、むしろ生産量増加も行っていた模様である。
マスコミ報道や流言飛語によって不安に駆られ、高値でたくさんのトイレットペーパーを買った消費者は、山積み保管していた。
それまでトイレットペーパーは主に特売用商品(消費者を商店に足を向けさせ、客足の増加を見込む)として扱われていたが、この当時は一変して定価どころか倍の値段をつけても売れる程だったという。このため商店は在庫確保に奔走し、結果として問屋在庫すら空になる程だったとされている。
このような連鎖的現象により、最初の内こそ楽観視していた人までもが、実際に店頭からトイレットペーパーが消えたため確保に走ったといい、小売店では、店頭にトイレットペーパーが並ぶや否や客が押し掛け、商品を奪い合う人すら見られた。デパートなどでは余りの混雑振りに、トイレットペーパー販売のたびに迷子も多数発生したという。