ドラァグ・クイーン
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ドラァグ・クイーン (drag queen) とはパフォーマンスの一種。主に男性が行うが、女性が行うこともある。
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[編集] 概要
主に男性同性愛者が性差を超えるための手段として、ドレスなどの派手な衣裳 (女装) を身にまとい、厚化粧に大仰な態度をすることによって、男性が理想像として求める女性性を過剰に演出することが起源といわれる。
もともとは異性装の一つであり、ドラァグ・クイーンには男性同性愛者、両性愛者が多いものの、近年は男性異性愛者や女性が行っている場合も多い。趣味として行っている者から、プロのパフォーマーとして活躍する者まで、ドラァグ・クイーンの層は近年厚くなっている。
MtF-GIDが女性物の服を着るのは「女性になる」、「女性として見られる」ことが目的であるのに対し、ドラァグ・クイーンのそれは「女性のパロディ」、「“女性” を遊ぶ」ことを目的としている点で異なっている。
[編集] 起源
ドラァグ (drag) の意味は「引きずる」であり、ドラァグ・クイーンが引きずるような極端にすその長い女性用のドレスやスカートをはいていたことに由来する。
[編集] 表記
“Drag queen” を日本語に転記するとき、英語の実際の発音を標準的な転記法に則って「ドラッグクイーン」「ドラッグ・クイーン」とする場合もあるが、LGBTのメディアでは「ドラァグクイーン」「ドラァグ・クイーン」という表記がより好まれている。これは違法ドラッグ(drug)と関係があるかのように誤解されないよう、あえて差別化したものである。
またそもそも “Drag queen” を「ドラァグクイーン」と表記する事を提唱したのは、マーガレットこと小倉東(元Badi編集長)であるとも言われている。したがってそれ以前から “drag queen” として活動していた関西ではドラァグと表記する事は少なく「ドラッグクイーン」と表記する事が多い。
[編集] 歴史
日本でDrag queenをしたのはグローリアスが最初だと言われている。1990年代の初頭からグローリアスは関西(京都)を拠点にしてDrag queenを広めていく。同じ頃、関東圏では小倉東がアメリカのゲイ文化としてのDrag queenを紹介していた。そのあたりから主に関西では「diamond are forever」関東では「gold」というゲイクラブイベントでDrag queenを志すものが多く現れ始めた。しかし、関西と関東ではいささか毛色が違っていて関西ではレヴュースタイルや芸術的要素が強く、日本のゲイ文化と馴染みが薄かった。関東ではミスコン的で華美な衣裳でクラブを賑やかすというもので、ショーもゲイバーの周年パーティ的なものの延長線上であるものが主流であった。しかし関東圏でもオナン・スペル・マーメイドのような芸術的要素を取り入れ演劇的手法を用いたDrag queenも少数ながらも存在した。折しも映画「プリシラ」のヒットと90年代前半のゲイブームに乗ってDrag queenはゲイカルチャーに無くてはならないものとなった。そして90年代半ば以降にはスーパーモデルの様な過剰にキレイであるドラァグクィーンであるのが主流になったいた。「歌モノハウス」が隆盛を極め、そのためクラブイベントでのDrag queenはお立ち台や洋楽女性DIVAのリップシンクショーがメインストリームになっていった。その中で一線を画すUC((アッパーキャムプ)のドラァッグが東京で台頭し始める。UCの台頭によりネタ色が強く、そのショーも日本の女優をオマージュしたセクシャルなショー、その当時流行のアイドルのリップシンクなど、だれもが知っている様なネタにより一体感を演出する。自虐ともいえるネタの完成度の低さには定評があり、女装プロレス、演劇などは特に名高い。観客動員数もうなぎ上りで、既存のクラブイベントだけでなくショーイベントとしてドラァグクィーンの活躍の場が広がる。また、あまりのショータイムの長さのため会場全体が酸欠状態になり救急車が出動する騒ぎも有った。その一方で過剰に笑いを期待をしてくる観客とネタの枯渇に悩むUC側で溝が生まれ、惜しまれながらレギュラーイベントは終了を迎える。その後も二匹目の泥鰌を狙ったショー系イベントが乱立するがバブルがはじけた後の様に中途半端な盛り上がりに終わる。
[編集] 著名なドラァグ・クイーンの一覧
[編集] 日本
[編集] 第一世代(1989~1994頃から活動)
- グローリアス(日本のドラァグクイーンの祖)
- シモーヌ深雪(シャンソン歌手、存命する日本では最古参のドラァグクイーン)
- ブブ・ド・ラ・マドレーヌ
- オナン・スペル・マーメイド
- マダム・ボンジュール・ジャンジ
- クリスティーヌ・ダイコ*(元祖・オオバコの女王)
- ホッシー(MISIAのコンサートツアーに参加)
- マーガレット(小倉東元Badi編集長、MISIAのコンサートツアーに参加)
- ジャスミン
- メローディアス
- チッコーネ
- メデューサ
[編集] 第二世代(1995~1999頃から活動)
- ルチアーノ(アメリカら北海道にに帰りDrag queenを広めた札幌Drag queenの祖)
- ブルボンヌ(アッパーキャムプ主宰)
- エスムラルダ(ホラー系ドラァグクイーン・ライター・東京都公認大道芸人)
- ジュヌヴィエーヴ
- マルガリータ
- 肉乃小路ニクヨ
- ナジャ・グランディーバ(スーパーモデルを流行らせる)
- ダイアナ・エクストラ・バガンザ(関西では珍しいナチュラルメイク志向)
- バビエノビッチ(オオバコの女王)
- マツコ・デラックス(コメンテーター・エッセイスト)
- バブリーナ(元祖コギャル女装)
- ロメダ霧島(大正ロマン昭和テイストのDrag queen クラブ歌手)
- 阿武虎(東京からDrag queen文化を北陸に輸入。北陸に阿武虎王国を築く)
- アンジェリカ(愛知のDrag queenの祖)
[編集] 第三世代(2000~2004頃から活動)
- レイチェル・ダムール(古くからHOSSYのダンサーを務めてるのでどの世代かは難しい所)
- 肉襦袢ゲブ美
- エンジェル・ジャスコ
- メイリー・ムー
- ミッツ・マングローブ
- ギャランティーク和恵(生歌のみだが小芝居もする事も)
- 釜愚痴ホモ恵(名古屋の名物)
[編集] アメリカ
[編集] イギリス
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- The Divine Page – ディヴァインのファンサイト
- RuPaul.com – ルポールの公式サイト
- Lypsinka.com – リプシンカの公式サイト
- MissCocoPeru.com – ミス・ココ・ペルーの公式サイト
- Interview with Miss Understood – ミス・アンダーストゥッドの雑誌インタビュー