ナザム
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ナザム NASUM |
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出身地 | スウェーデン ![]() オレブロ県 オレブロ |
活動期間 | 1992年~2005年 |
ジャンル | グラインドコア |
レーベル | リラプス・レコード バーニング・ハート・レコード Ritual Records |
メンバー | ミエツコ・タラーツィク アンダース・ジェイコブソン ジョン・リンドクヴィスト アーバン・スキット リカルド・アーリクソン イエスパー・リヴロッド |
ナザム(NASUM)はスウェーデン オレブロ出身のグラインドコア/デスグラインドバンドである。
彼等のサウンドは、昔のナパーム・デス(『Mentaly Murderd』(1992年,EP)、『The Peel Sesions』(1993年)辺りのグラインドコアサウンド)に、エントゥームド、カーネイジに通じる北欧デスメタルのギターサウンドを加え、それに地元スウェーデンのハードコア/クラストコアの要素や、現代的なブルータリティの要素を加えた、ゴア要素のないストレートなグラインドコアであり、これといってオリジナリティ溢れる音楽性ではないが、グラインドコア/デスメタルのルーツに忠実な彼等のサウンドは多くのファンを魅了した。
1992年にグラインドコアバンド、ネクロニーのメンバーを中心に結成され、初期の頃はリハーサル・ルームでの活動をメインにしたプロジェクト・バンド的な側面が強かったが、リラプス・レコードと契約してリリースした1stアルバム以降アンダーグラウンド・シーンで人気が高まり、レコード会社のサポートもあって積極的にツアーを行うようになる。その後も順調にアルバムをリリースし、3rdアルバムでは母国スウェーデンで国営ラジオ局による「ベスト・ロック/メタル」アワードを始めいくつかの賞を受賞するなど着実に人気を高めていくが、2004年末にリーダーのミエツコ・タラーツィクが、休暇に訪れたタイでスマトラ沖地震に巻き込まれ死亡したことによって2005年に活動を終了した。
目次 |
[編集] 略歴
- 1992年にグラインドコアバンドネクロニーの元メンバー、アンダース・ジェイコブソン(G)とリカルド・アーリクソン(Ds,Vo)によって結成される。その後ジェノサイド・スーパスターのミエツコ・タラーツィク(G)が加入し体制が整うとバンドとして初のレコーディングをエッジ・オブ・サニティのダン・スウォノ所有の「ユニサウンド」で行い、1993年にAGATHOLESとのスプリット盤としてリリースされた。
- 1995年になってドラムのリカルド・アーリクソンが脱退し、アンダース・ジェイコブソンがドラムに転向しし、しばらくの間2人はデュオとして活動していくことになり、シングルやコンピレーション中心にリリースを行う。
- 1997年6月にミエツコ・タラーツィクはプロデューサー業を辞めようとしていた元エッジ・オブ・サニティのダン・スウォノ所有のスタジオ「ユニサウンド」の設備をパンクバンドミレンコリンのマティアス・ファームと共に買い取り、新たに「サウンドラブ・スタジオ」と名付け共同オーナーとなる。以後ナザムはそこを拠点にレコーディングを行う。そしてミエツコ・タラーツィクはプロデュース活動を積極的に行い、ガジェットやインキャパシティーなどのプロデュースを行う。その後、ディスチャージのトリビュートに曲を提供し、それが元でリラプス・レコードと契約することとなる。そして、年末から年明けにかけてアルバムのレコーディングを行い、1stアルバム『Inhale/Exhale』を1998年5月にリリースする。
- 1999年の春にバーストのイエスパー・リヴロッド(B,Vo)が加入しバンドはトリオ体制になり、以後積極的にライブ活動も行うようになる。そしてリラプス・レコード主催のパッケージ・ツアー「リラプス・コンタミネイション」にソイレント・グリーン、トゥデイ・イズ・ザ・デイ、イグジュームド等とアメリカでツアーを行い、さらに「ミルウォーキー・メタル・フェスト」にも出演する。
- その後、10月から12月にかけアルバムのレコーディングを行い、2ndアルバム『Human 2.0』を2000年4月にリリース。このアルバムはHowling Bull Records傘下のRetual Recordsより、邦題『Human 2.01』として日本盤がリリースされることとなった。そして、カーカストリビュートへの提供曲「Tools of the Trade」をレコーディング行ったり、地元スウェーデンでエントゥームドや元アット・ザ・ゲイツのトーマス・リンドバーグが在籍しているクラストコアバンドスキットシステムとのライブも行う。その後、秋にはナパーム・デスと共に、チェコ、ドイツなどヨーロッパ8ヶ国を廻るツアーを行う。
- 2001年の春にザ・ホーンテッドらと共にスウェーデン・ツアーを行い、そのライブで録音された音源が国営ラジオでオンエア-された。夏にはドイツの「ワッケン・オープン・エアー・フェスティバル」への出演や、アメリカの「ミルウォーキー・メタル・フェスト」に前年に続いて出演をはたした。その後、10月には「EXTREME THE DOJO Vol.1」で初来日を行い、キャンディリア、クリプトプシーらと共演した。翌年の2002年春にはデリンジャー・エスケイプ・プランとイギリスでのツアーを行う。そしてスキットシステムとのスプリットEPをリリースなども行った。
- その後、アルバムの曲作りに入り、2002年の年末から年明けにかけてレコーディングを行い、3rdアルバム『Helvete』(Helveteはスウェーデン語で地獄を意味する)を2003年5月にリリースした。このアルバムにはナパーム・デスのシェーン・エンバリー(B)やエントゥームドのユルゲン・サンドストロム(B)がゲスト参加している。アルバムのリリース後、スウェーデン、フィンランドなどでツアーを行い、夏にはスウェーデンでいくつかのフェスティバルに出演する。その後、イエスパー・リヴロッドが脱退し、彼はバーストでの活動に専念することになる。後任にセイヤディナのジョン・リンドクヴィスト(B)が加入し、さらにリガージテイトのアーバン・スキット(G)が加入し4人編成となる。翌年の2004年1月には「EXTREME THE DOJO Vol.7」で来日し、ナパーム・デス、AxCx、ピッグ・デストロイヤーらと共演した。
- 日本から帰国後、母国スウェーデンで2つのアワードを受賞した。一つは「Swedish P3 Guld」(各ラジオ局主催のスウェーデン・ナショナル・ラジオ・アウォード)での「ベスト・ロック/メタル」、もう一つは「Manifest Award」での「ベスト・メタル/パンク・アルバム」である。その後、新たに母国スウェーデンのバーニング・ハート・レコードと契約を行い、3rdアルバム『Shift』を10月にリリースした。
- 年末にミエツコ・タラーツィクは彼のガール・フレンドと共に、タイのピピ島へ休暇のため訪れたが、12月26日に起きたスマトラ沖地震による津波の被害に遭い行方不明になる(津波でバンガローごと流されたとのこと)。翌年の2005年の2月17日になってミエツコ・タラーツィクは遺体で発見された。これを受け残されたメンバーはバンドを解散することにした。そして、10月にこれまでにオリジナル・アルバム以外で発表したシングルやコンピレーションでの曲を集めた2枚組み全152曲の編集盤『Grind Finale』をリリースした。
[編集] メンバー
- ミエツコ・タラーツィク Mieszko Talarczyk - (G,Vo) (1993-2004)
- アンダース・ジェイコブソン Anders Jakobsson - (Ds,Vo) (1992-2005)
- ネクロニー解散後、ナザムを結成。ナザム解散後、2006年にコールドワーカーを結成する。
- ジョン・リンドクヴィスト Jon Lindqvist - (B) (2003-2005)
- セイヤディナ、ビクティムズでも活動を行っている。
- アーバン・スキット Urban Skytt - (G) (2003-2005)
- スウェーデンのクリメトリー(ドイツのバンドとは同名異バンド)に在籍後、リガージテイトに加入し2003年にはナザムのギタリストも兼ねる。
- リカルド・アーリクソン Rickard Alriksson - (Ds,Vo) (1992-1995)
- ネクロニー解散後、ナザムを結成。
- イエスパー・リヴロッド Jesper Liveröd - (B,Vo) (1999-2003)
- ナザムの他にバーストでも活動中していたが2003年にバーストに専念するため脱退した。
[編集] ディスコグラフィ
[編集] アルバム
- 1998年 Inhale/Exhale
- 2000年 Human 2.0(邦題:Human 2.01)
- 2003年 Helvete
- 2004年 Shift
[編集] ベスト
- 2005年 Grind Finale
[編集] コンピレーション
- 2001 V.A. / Requiems of Revulsion(カーカス・トリビュート)
[編集] 外部リンク
- http://www.nasum.com/ 公式サイト(英語)