ジョージ2世 (イギリス王)
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ジョージ2世(George II, 1683年11月10日 - 1760年10月25日、在位:1727年-1760年)は、イギリス・ハノーヴァー家第2代国王、ハノーファー選帝侯(ゲオルク2世 Georg II. August)。ジョージ1世と王妃ゾフィー・ドロテアの息子。ハノーファーで生まれた。
1705年9月2日に、ブランデンブルク=アンスバッハ辺境伯ヨハン・フリードリヒの娘カロリーネ(イギリス名キャロライン)と結婚した。イギリス国王として即位する父に従い、1714年の8月31日にハノーファーを発った。その治世の前半は、先王より続いていた第一大蔵卿(事実上の初代首相)ロバート・ウォルポールの長期政権の時期に相当する。ジョージ2世は、このウォルポールと王妃カロリーネの助言によりイギリスを統治した。ウォルポール退陣後間もなく、ジョージ2世はオーストリア継承戦争に際して自ら軍を率いて大陸へと渡り、1743年6月にデティンゲンの地でフランス軍を撃破した。これは、イギリス国王が自ら指揮をとって戦った最後の対外戦争となった。
治世の後半は、オーストリア継承戦争を皮切りに、大陸における七年戦争など様々な対外戦争に巻き込まれた。ドイツのハノーファー選帝侯国を故国としたジョージ2世は、ヨーロッパの国際戦争と故国の情勢に関心が深く、戦争継続派の後ろ盾となっていた。当時、既に議院内閣制(責任内閣制)が確立しており、国王の指導力は限定的であったとはいえ、1760年におけるジョージ2世の逝去は、当時における戦争継続派の勢力を弱めさせることになった。
1743年、ヘンデルのメサイアが初めてロンドンで演奏された際(初演は1742年4月13日、アイルランドのダブリン)、第二部最後の「ハレルヤ(Hallelujah)」(通称「ハレルヤコーラス」)の途中で感動して起立したという逸話がある。今日の演奏会でも聴衆がハレルヤコーラスの部分で立ち上がるのもこの国王ジョージ2世の逸話に端を発している。
[編集] 子女
王妃カロリーネとの間に3男5女をもうけた。
- フレデリック・ルイス(1707年2月1日 - 1751年3月31日) 王太子(プリンス・オブ・ウェールズ)
- 父王に先立って死去したため、長男ジョージ・ウィリアム・フレデリックが王太子となり、のち王位を継承した。
- アン(1709年11月2日 - 1759年1月12日) オラニエ公ウィレム4世と結婚。
- アメリア・ソフィア(1711年7月10日 - 1786年10月31日)
- キャロライン・エリザベス(1713年6月21日 - 1757年12月28日)
- ジョージ・ウィリアム(1717年11月13日 - 1718年2月17日)
- ウィリアム・オーガスタス(1721年4月15日 - 1765年10月31日) カンバーランド公
- メアリー(1723年3月5日 - 1772年1月14日) ヘッセン=カッセル方伯フリードリヒ2世と結婚。
- ルイーズ(1724年12月18日 - 1751年12月19日) デンマーク王フレゼリク5世と結婚。
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