ネーデルラント連合王国
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低地諸国の歴史 |
リエージュ司教(君主)領(約720年~1794年) |
ネーデルラント連合王国(英:United Kingdom of the Netherlandsもしくは、Kingdom of the United Netherlands、オランダ語:Verenigd Koninkrijk der Nederlanden、 フランス語:Royaume-Uni des Pays-Bas、ドイツ語:Vereinigtes Königreich der Niederlande)は、1815年のウィーン会議の結果フランス第一帝国の一部から作り出した、新しく統一された国の名前である。
この名称は公式なものではなく、正式な国名はネーデルラント王国(英:"Kingdom of the Netherlands")といい、北にあったオランダ共和国と、南にあったオーストリア・ネーデルラントと、リエージュ司教領から作られた。この新しい国の国王には、共和国の総督を代々務めてきたオラニエ=ナッサウ家の当主が就いた。
最初の設立の意図は、フランスがこの方面に野望を持った際に対抗できる国を、フランスの北に作ることであった。連合王国は南部が独立し、ベルギー王国となる1830年まで続いた。ベルギーの独立は1839年まで認められなかったが、その後は北方の諸州のみをネーデルラント王国と呼ぶようになった。ルクセンブルク大公領は、1890年のヴィルム3世の死までオラニエ=ナッサウ家による支配が続いた。ルクセンブルクはサリカ法典により、女性が継承者となることができなかったため、大公位はナッサウ=ヴァイルブルク家が継いだ。これは、1783年のナッサウ家の協定に基づいたものである。