ドイツ連邦
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ドイツ連邦/ドイツ同盟(ドイツれんぽう/ドイツどうめい, 独:Deutscher Bund)とは、かつて神聖ローマ帝国を構成していた諸領邦(35君主国)と4つの帝国自由都市による国家連合。1815年のウィーン議定書に基づき、オーストリアを盟主として発足した。ドイツ連邦は、主権国家同士の連合体つまり国家連合(Staatenbund)であって、連邦国家(Bundesstaat)ではないため、「ドイツ同盟」とも訳される。
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[編集] 歴史
ドイツ連邦は、ライン同盟の解体を受けて、ウィーン会議を経て1815年6月8日のドイツ連邦規約に基づいて成立した。オーストリア帝国(連邦議会議長)、プロイセン王国、4つの自由都市(リューベック、フランクフルト・アム・マイン、ブレーメン、ハンブルク)など39邦国が同盟を構成した。なお、旧神聖ローマ帝国の領域を範囲としたため、オーストリアおよびプロイセンの領土は連邦の内と外にまたがっていた。
それまで神聖ローマ皇帝が司ったドイツ全体に関わる懸案の審議と議決を目的に、フランクフルト・アム・マインに連邦議会が常設された。軍隊、警察、関税は構成国の主権に属した。連邦議会の議員は諸邦の普通選挙で選ばれた官吏、大学教員等の市民階級の代表が務めた。プロイセンのビスマルクもその一人であった。
1848年の三月革命において中断したが復活した。1866年、普墺戦争に勝利したプロイセンがドイツ統一の主導権を握り、オーストリアが盟主であったドイツ連邦を解体した。翌年にプロイセンを中心として結成された北ドイツ連邦は、後に成立するドイツ帝国の母体となった。
[編集] 主要な加盟諸邦
連邦議会で四票を有する
連邦議会で三票を有する
- バーデン大公国
- ヘッセン=カッセル選帝侯国
- ヘッセン=ダルムシュタット大公国
- ホルシュタイン公国(1864年まで君主はデンマーク王、以後はオーストリアとプロイセンの共同管理)
- ルクセンブルク大公国(君主はオランダ王)
連邦議会で二票を有する
- ブラウンシュヴァイク公国
- メクレンブルク=シュヴェリン大公国
- ナッサウ公国
連邦議会で一票を有する
- ザクセン=ヴァイマル大公国
- ザクセン=ゴータ公国 ※
- ザクセン=コーブルク公国 ※
- ザクセン=マイニンゲン公国 ※
- ザクセン=ヒルトブルクハウゼン公国 ※
- ※1825年にザクセン=コーブルク=ゴータ公国、ザクセン=マイニンゲン公国、ザクセン=アルテンブルク公国に再編される
- メクレンブルク=シュトレーリッツ大公国
- オルデンブルク大公国
- アンハルト=デッサウ公国
- アンハルト=ベルンブルク公国
- アンハルト=ケーテン公国
[編集] 訳語
Deutscher Bundはアメリカのような連邦国家ではなく、国家の緩やかな連合体(国家連合)であるため、「ドイツ連邦」という訳語は問題があるとする考えもある。連邦国家でないものを「ドイツ連邦」と称するのは本来的にミスリーディングであり、"ドイツ同盟"と訳すほうが望ましいとする。[1]
[編集] 関連記事
- フランクフルト国民議会
- 南ドイツ連邦
[編集] 参考文献
- ^ 「ドイツ同盟」を用いる例に、イェリネク(芦部ほか訳)『一般国家学』学陽書房 や、栗城壽夫『一九世紀ドイツ憲法理論の研究』などがある。
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