パトリス・ルムンバ名称民族友好大学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
パトリス・ルムンバ名称民族友好大学(Patrice Lumumba Peoples' Friendship University、ルムンバ大学)は、ソビエト連邦共産主義建設のための学校。
目次 |
[編集] 概要
[編集] 設立
アジアやアフリカ、ラテンアメリカ地域にある友好国からの留学生に対して、共産主義思想及びその経済政策を教えるための大学として、冷戦下の1960年に設立された。1961年にアフリカ独立運動の旗手であったコンゴの指導者であるパトリス・ルムンバを讃えて「パトリス・ルムンバ」という名称を加えた。
なお、この学校の元は1921年に出来たクートヴェであり、その対象をアジア地域からアフリカやラテンアメリカに広げたものである。開校当初はおよそ60ヶ国の国々から600名前後の生徒が来ていたとされる。
[編集] 「テロリスト養成校」
国際的テロリストのイリイチ・ラミレス・サンチェス(ことカルロス・ザ・ジャッカル)の留学先でもあり、他にも多くの発展途上国の革命家やテロリストが留学していたことから、「テロリスト養成校」と称されることも多い。また、日系ロシア人議員イリーナ・ムツオヴナ・ハカマダの母校でもある。
[編集] 現在
1991年のソ連崩壊以後は、学校名はロシア民族友好大学(РУДН)と称している。ロシア連邦大統領ウラジミール・プーチンの娘、マリアの在籍校でもある。現在は生徒のほとんどはロシア人だという。
[編集] 参考文献
- アンドレイ・イーレシュ『KGB極秘文書は語る』(文藝春秋社、1993年)