ヒメタタライスズヒメ
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ヒメタタライスズヒメは、神武天皇の皇后であり、三輪大物主神の娘である。日本書紀では媛蹈鞴五十鈴媛命と記す。古事記では比売多多良伊須気余理比売(ヒメタタライスケヨリヒメ)と記し、別名、富登多多良伊須岐比売(ホトタタライスキヒメ)としている。
ヒメタタライスズヒメの母であるセヤダタラヒメ(勢夜陀多良比売)が美人であるという噂を耳にした大物主は、彼女に一目惚れした。セヤダタラヒメに何とか声をかけようと、大物主は赤い矢に姿を変え、セヤダタラヒメが用を足しに来る頃を見計らって川の上流から流れて行き、彼女の下を流れていくときに、ほと(陰所)を突いた。彼女がその矢を自分の部屋に持ち帰ると大物主は元の姿に戻り、二人は結ばれた。こうして生れた子がヒメタタライスズヒメである。ホトを突かれてびっくりして生まれた子であるということでホトタタライスキヒメと名づけ、後に「ホト」を嫌ってヒメタタライスケヨリヒメに名を変えた。
神武天皇との子は、上から順に、ヒコヤイノミコト、カンヤイミミノミコト、綏靖天皇である。神武天皇の死後、神武天皇の子であるタギシミミノミコトと結婚する。
神武天皇は、東征以前に、日向で、すでに娶っていたが、大和征服後、在地の豪族の娘を正妃とすることで、在地豪族を懐柔しようとしたと考えられている。
父にあたる大物主は、スサノオの子孫である大国主の和魂とされており、天照大神の子孫である神武天皇とヒメタタライスズヒメが結婚することで、天津神系と国津神系に分かれた系譜がまた1つに統合されることになる。
皇后の名の中にある「タタラ」とは、製鉄の時に用いられる道具であり、このことは、皇后の出身氏族が、製鉄と深い関係があったことを物語っている。