ビエラ彗星
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彗星 周期彗星の一覧 / 非周期彗星の一覧 |
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発見 | |
発見者 | ジャック・モンテーニュ ヴィルヘルム・フォン・ビーラ |
発見日 | 1772年3月8日(モンテーニュ) 1826年2月27日(ビーラ) |
符号・別名 | 3D/1772 E1 = 1772 = 3D/1805 V1 = 1806 I = 3D/1826 D1 = 1826 I = 3D/1832 S1 = 1832 III = 1846 II = 1852 III ビーラ彗星 |
軌道要素 - IAUNASA | |
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離心率 (e) | 0.751299 |
近日点距離 (q) | 0.879073 AU |
軌道長半径 (a) | 3.534658 AU |
遠日点距離 (Q) | 6.190243 AU |
公転周期 (P) | 6.64540 年 |
軌道傾斜角 (i) | 13.21640° |
近日点引数 (ω) | 221.65880° |
昇交点黄経 (Ω) | 250.66900° |
前回近日点通過 | 1852年9月24日 |
次回近日点通過 | なし(消滅) |
ビエラ彗星(ビエラすいせい、3D/Biela)は、1826年にヴィルヘルム・フォン・ビーラによって発見され、のちに消滅し、アンドロメダ座流星群の母彗星となった周期彗星である。ドイツ語本来の読みに近づけて、ビーラ彗星と表記されることもある。
ビエラ彗星は、1772年3月8日にジャック・モンテーニュが、1805年11月10日にジャン=ルイ・ポンが発見していた。 しかし、1826年2月27日にヴィルヘルム・フォン・ビエラが発見し、軌道計算をして初めて、周期6.6年の周期彗星だとわかったため、彼の名前が付けられた。 当時、周期彗星の発見は、ハレー彗星、エンケ彗星に続き、3つ目だった。
1846年の近日点通過に先立つ1845年12月、ビエラ彗星が2つの破片に分裂するのが観測された。 次の1852年には再び観測されたが、破片同士の距離は240万kmに達していた。 次の1859年には、近日点通過が太陽と合に近かったため観測不可能だったが、その次の1866年は、観測条件がよかったにもかかわらず現れなかった。 それ以後、つまり1852年を最後に、二度と現れていない。
1872年11月27日、アンドロメダ座γ星付近を放射点とする、明るい流星を多く含んだ非常に壮大な流星雨が観測された。この放射点の位置は、ビエラ彗星が現れるはずだった場所と一致していた。 アンドロメダ座流星群あるいはビエラ流星群と名づけられたこの流星群は、完全に崩壊し粉々になって消滅したビエラ彗星の残骸が地球の大気に突入したものと考えられている。 アンドロメダ流星群は、1741年、1798年、1830年、1838年、1847年、1867年にも流星群が観測されており、ビエラ彗星は消滅に先立ち徐々に分解しつつあったようである。 分解の一因は、1845年、1859年、1866年に地球に接近した際の、地球の重力と思われる。 流星群はその後、1885年、1892年にも観測されたが、20世紀には活動が見られなくなった。 なお、1885年11月27日にメキシコに落下したマザビル隕石は、ビエラ彗星の一部だったと考えられている。