ビング・クロスビー
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ビング・クロスビー(Bing Crosby、1903年5月2日-1977年10月14日)は、アメリカ合衆国で最も人気のあった歌手・俳優。マイクロフォンを使った歌唱法を最初に確立した歌手としても知られる。
本名はハリー・リリース・クロスビー(Harry Lillis Crosby)。
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[編集] プロフィール
リメイク版を含めて全世界で4千500万枚を超える大ヒットとなった『ホワイト・クリスマス』(White Christmas)があまりにも有名。1940年以降、13曲の全米No.1ヒット(ビルボード誌)を持つ。57本の映画に出演。映画興行でも最も観客動員力のある主演スターとして長年トップに君臨した。生涯のレコード売上は4億枚を超えるという。死の直前までレコーディングを行い、晩年には『追憶』やコーラスラインから『愛の後悔』などもアルバムの中に残している。また、『我が道を往く』では、アカデミー主演男優賞受賞、『喝采』では、同賞にノミネートされている。
[編集] 家族
最初の妻と死別後、女優のキャスリン・グラントと再婚。ボブ・クロスビー楽団で知られるボブ・クロスビーは弟、女優のメアリー・クロスビーは娘、映画『13日の金曜日』に出演したハリー・クロスビーは息子、俳優のデニース・クロスビーは孫。
[編集] 映画
- アフリカ珍道中 -Road to Zanzibar (1941)
- モロッコへの道 -Road To Morocco (1942)
- 我が道を往く-Going My Way (1944)
- 皇帝円舞曲 -The Emperor Waltz(1947)
- 南米珍道中 -Road to Rio (1947)
- 喝采 -The Country Girl(1954)
- ホワイト・クリスマス -White Christmas(1954)
- 上流社会 -High Society(1956)
- 駅馬車 -Stagecoach (1965)
[編集] 代表曲
- いつの日か君に(Where The Blue Of The Night (Meets The Gold Of The Day))
- サイレント・ナイト(きよしこの夜)(Silent Night)(1935年)
- 発売当時だけで600万枚を売り上げた。
- スイート・レイラニ(Sweet Leilani)(1937年)
- ミリオンセラーを記録。
- シエラ・スー(Sierra Sue)(1940年)
- オンリー・フォーエヴァー(Only Forever)(1940年)
- ホワイト・クリスマス(1942年)
- 映画「スイング・ホテル」の主題歌。ビルボードで14週間1位、1942~1962年まで1953年を除き20年間もクリスマスの季節になるとランクインし続け、トータルで86週ランクインした。1963年に「クリスマスソングは通常のチャートにはランクインさせない」という規定ができたため(1973年に規定解除)記録が途絶えるが、この年新設されたクリスマスチャートには1963年~1970年まで連続でチャートインし続けた。世界中で少なくとも4500万枚を売り上げたとされ、これはギネス記録に認定されている。またカバー版やLPを含めると、北米だけでも1億枚以上が売れたとされる。
- アイ・ラヴ・ユー(I Love You)(1944年)
- サン・フェルナンド・ヴァレー(San Fernando Valley)(1944年)
- アイル・ビー・シーイング・ユー(I'll Be Seeing You)(1944年)
- 星にスイング(Swinging on a Star)(1944年)
- 映画「我が道を往く」の主題歌。
- 僕は気ままに(Don't Fence Me In)(1944年)
- イッツ・ビーン・ア・ロング・ロング・タイム(It's Been a Long, Long Time)(1945年)withレス・ポール
- ホワイト・クリスマス(ニュー・ヴァージョン)(1947年)
- 今ぞ別れの時(Now Is The Hour)(1948年)
- トゥルー・ラブ(True Love)(1956年)グレース・ケリーとデュエット
- 映画「上流社会」の主題歌。
- 世界一周(Around The World)(1957年)
[編集] ラジオ番組
- ビング・クロスビー・ショー(1931年)
[編集] 関連項目
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