グレース・ケリー
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グレース・パトリシア・ケリー(Grace Patricia Kelly, 1929年11月12日-1982年9月14日)は米国の女優。ハリウッドのスターからモナコ公国レーニエ大公妃に華麗に転身した。
[編集] 来歴
1929年米国ペンシルヴァニア州フィラデルフィアのアイルランド系カトリックの家に生まれた。父は独力で成功した億万長者で、オリンピックのボート競技で金メダルを取ったこともあった。母はドイツ系。少女時代は頬が綺麗なピンク色でかつ内気で人前に姿を現すのが苦手であったという。そして可憐で静かであったらしい。なお三姉妹がいてその中でもグレイスが一番不器用であった。裕福な家庭で育ちそれが反感を生むこともあった。
ハイスクール卒業後、家族の反対を押し切り女優を志す。ニューヨークでモデルのアルバイトをしながら演技を学び、1949年にブロードウェイデビューした。その後ハリウッドから誘いがかかり、1951年、22歳で映画デビュー(『Fourteen Hours』)。この作品を見たスタンリー・クレイマーが『真昼の決闘』でゲイリー・クーパーの相手役に抜擢した。アルフレッド・ヒッチコックのお気に入り女優で『ダイヤルMを廻せ!』『裏窓』『泥棒成金』とヒロインをつとめている。1955年には、ビング・クロスビーの妻役でシリアスな演技を見せた『喝采』でアカデミー主演女優賞を受けた。
カンヌ映画祭で知り合ったモナコ大公レーニエ3世(在位1949年 - 2005年)と1956年結婚。夫の希望で女優業を引退、同年のミュージカル映画『上流社会』が最後の作品となった。なお1966年の麻薬撲滅キャンペーン映画『悪のシンフォニー』にはグレース妃として特別出演している。
モナコ公妃として1957年長女カロリーヌ、1958年長男アルベール、1965年次女ステファニーを無事出産している。長女の妊娠時、マスコミに妊娠を悟られないようにエルメス社のバッグ「サック・ア・クロワ」で腹部を隠した。この事でバッグが有名になり、商品は「ケリーバッグ」と改名された。死後もファッションセンス、シンデレラ・ストーリーは多くの女性の憧れの的で、今現在も彼女を崇拝する女性は数多い。
52歳の時モナコの高速道路をドライブ中、心臓発作を起こして交通事故となり、意識が回復せずに翌日死亡した。実際は次女ステファニーが運転していたとも言われる。モンテ・カルロのサン・ニコル大聖堂に埋葬されている。
[編集] フィルモグラフィ
- 『真昼の決闘』(1952)
- 『モガンボ』(1953)
- 『ダイヤルMを廻せ!』(1954)
- 『喝采』(1954)
- 『裏窓』(1954)
- 『トコリの橋』(1955)
- 『泥棒成金』(1955)
- 『緑の火 エメラルド』(1955)
- 『白鳥』(1956)
- 『上流社会』(1956)
[編集] 外部リンク
- Chart of Princess Grace Patricia Kelly & Ancestry of Prince Albert
- Grace Kelly and Prince Rainier
- An ancestor chart of Grace Kelly
- Classic Movies(1939 - 1969): Grace Kelly
- Grace Kelly Online(英語)
カテゴリ: アメリカ合衆国の俳優 | ペンシルバニア州の人物 | モナコの人物 | 后妃 | アイルランド系アメリカ人 | 1929年生 | 1982年没