フィリベルト2世
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フィリベルト2世(Filiberto II il bello, 1480年4月10日ポン・ダン - 1504年9月10日ポン・ダン)は、サヴォイア公、ピエモンテ公、アオスタ伯、モリアーナ伯、ニース伯、キプロス王、エルサレム王(在位:1497年 - 1504年)。フィリッポ2世の子。
ハンサムで武芸に秀でた人物であったという。
幼少時はフランス王ルイ11世の娘アンヌ・ド・ボージュー(後の摂政)の下で教育を受ける。
1501年12月2日、神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の長女マルゲリータと結婚。彼自身は政治にあまり関心がなかったが、マルゲリータが政治に介入し、暴政を行っていたフィリベルトの義兄ルネ・バタール(「バタール」は私生児の意)を法的根拠に基づいて即刻解任し、国外追放した。そして小規模ながらも国の経済を回復させ、サヴォイア公国を苦境から救った。夫婦仲は極めて良かったが、結婚3年目の1504年フィリベルトは狩猟大会の折りに飲んだ生水にあたり死亡した。マルゲリータは以後独身を貫いた。
フィリベルト2世はマルゲリータが建設させたブール・カン・ブレスの霊廟に埋葬された。
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