フス戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フス戦争(英:Hussite Wars または Bohemian Wars)は、ボヘミアのヤン・フスの開いたキリスト教の改革派であるフス派と、それを異端としたカトリック、神聖ローマ帝国の間で戦われた戦争。戦争自体は1420年から1434年頃に収束したものの、ボヘミアでは根強く影響力を保ち続け、1458年にはラースロー5世ことハプスブルク家のラディスラウスの死後、フス派の君主が擁立された。
マスケット銃の発明により、フス戦争はヨーロッパ史最初の手銃器を使った戦いと言われる。ヤン・ジシュカの生み出した銃器と戦車(馬車の一種)とそれを活用する戦術によって、当時の騎士による突撃戦術を完膚なきまでに打ち破った。
全ヨーロッパを敵に回したフス派は貴族や庶民が団結し、当時の国王の私兵である軍隊ではなく、国民軍の原型のような軍隊を作り上げた。ローマ教皇と神聖ローマ皇帝ジギスムントは何度もフス派に対する十字軍を組織したが、ことごとく打ち破られた。フス派軍の精強さは知れ渡り、フス戦争の中期には、対陣中にフス派が聖歌を歌いだすとフス派軍の突撃を恐れた十字軍がたちまち壊走した、という逸話が伝えられている。
[編集] フス戦争の戦い
- Nekmer
- Sudomĕř
- Vítkov
- Vyšehrad
- Nebovidy
- Německý Brod
- Hořice
- Ústí nad Labem
- Tachov
- Lipany
- Grotniki
- 日付:1439年5月3日
- 場所:Nowy Korczyn、シフィェンティクシシュ県
[編集] 文献
- "The Hussite Wars (1419–36)", Stephen Turnbull, Osprey Publishing (ISBN 1841766658)
[編集] 外部リンク
- Joan of Arc's Letter to the Hussites (1430年3月23日) — ジャンヌ・ダルクがフス派へ送った手紙
- フス戦争の戦略
- The Hussite Wars
- The Bohemian War (1420–1434)
- ターボル戦記フス派の一派ターボル派に焦点を当ててフス戦争全般を記述。