ヤン・ジシュカ
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ヤン・ジシュカ(Jan Žižka,1374年-1424年10月11日)は、フス戦争の英雄。
[編集] 生涯
隻眼であったため、隻眼のジシュカと称された。はじめ没落したボヘミアの小貴族であったが、智勇兼備の人物であったため、傭兵となって次第に頭角を現わしてゆく。1410年のタンネンベルクの戦いにも参加した。この頃、ボヘミアには教会の私有財産保有に反対する宗教改革者ヤン・フスがいたが、ジシュカはこのフスの考えに心酔し、同じくフスの考えを支持するフス派の急進派に近づいてゆく。
1415年、フスが火刑にされるとローマ教皇や時の神聖ローマ皇帝ジギスムントに対して反感を抱くようになり、1419年にジギスムントがボヘミア王に就任するとこれに反抗してフス戦争を引き起こした。
1420年、ボヘミア南部の城塞都市ターボルを拠点として、フス派の中でも特に最急進派といわれたターボル派を結成し、その司令官となって軍を主導した。ジシュカが作り出したターボル派の軍事力は、信仰に基づく厳格な軍紀と様々な新兵器(ピストル)により、相当な強さを誇っていたと言われている。このためジギスムントの神聖ローマ帝国軍も、ジシュカの前に何度も大敗を喫してしまった。
1421年、ジシュカは強大な軍事力を背景としてジギスムントのボヘミア王廃位を宣言し、臨時政府を樹立する。その後もジギスムントの神聖ローマ帝国軍に連戦連勝を重ねたが、まもなく病のために失明する。さらにローマ教皇やジギスムントとの和睦を求めるフス派の穏健派とも対立するなど、晩年は苦難の連続であった。1424年、モラヴィア遠征中にペストにかかり、間もなく死去した。