ブッチホン
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ブッチホンは、1999年度の新語・流行語大賞を受賞した、小渕恵三元内閣総理大臣の電話のかけ方の総称。当時、大評判となった。
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[編集] ブッチホンの由来
- 小渕の「ブチ」と電話(telephone)の「フォン」を掛け合わせて「ブッチホン」となった。
[編集] 小渕の電話魔ぶり
小渕は、極力電話は自分でかけるようにしていた。なぜなら「人に与えられた時間というものは決まっている。なのに電話をかけるとき、まず秘書にかけさせる。すると向こうも秘書が出る。それから相手が出て、最後にやっと自分が出る、なんてことをやっていたら一本の電話に四人が使われてしまう。こんなに無駄なことはない」というのが小渕の持論であったからだ。
[編集] ブッチホンを受けた人
- 樋口廣太郎:経済戦略会議の議長就任を依頼される
- 小渕優子:TBS勤務時代、毎晩ブッチホンをうける
- 瀬戸内寂聴:2000円札の絵柄について相談される
- 佐野眞一:小渕の伝記執筆中、自身のテレビ番組を激賞される
- 土屋賢二:小渕が、土屋の書いたエッセイを好んで読んでいたため
- 小室哲哉(2000年1月21日):沖縄サミットのテーマソング作曲を依頼
- 福岡政行:首相官邸で開催された2000年の新年祝賀会に招待される
- 江崎玲於奈:教育改革国民会議の座長就任を依頼される
- 石川好:景気対策の問題について相談される[1]
- 市原愛:第71回選抜高等学校野球大会の開会式で独唱した「君が代」に感銘を受けて[2]
- 川島純(日本の駐ニュージーランド大使):2000年問題についての確認。当初はヘレン・クラーク首相にブッチホンする予定であったが、2000年を祝う式典参加のため不可能になった。
- 15代沈寿官:小渕が日韓閣僚懇談会で鹿児島県東市来町美山を訪れた際、ホスト役を務めた[3]
- 松原武久:2005年日本国際博覧会開催に関連するごみ問題について[4]
- 実川元子:毎日新聞に掲載されたコラムで小渕の背広について書いたことから[5]
- 安斎隆[6]
- 寒川猫持(歌人)[7]
- 江村利雄[8]
- 山下惣一[9]
- 小泉美喜子:小渕に贈呈した自著『ここに神戸がある』を読み感銘を受けて[10]
- 堺屋太一(1995年1月18日/1998年7月)[11]
- 竹原信夫:「“日本一”明るい経済新聞」編集長。関西経済連合会の会長が小渕に新聞を渡したため[12]
- 京都橘女子高等学校(2000年3月6日):生徒の政治に関する意見を纏めた卒業文集を首相官邸に送ったお返しに(ブッチホン以外に小渕自らが毛筆で署名した手紙も届いた)[13][14]
- ズームイン!!朝!(2000年1月5日):番組中に突然生電話
- サンデープロジェクト(2000年1月9日):同上
- ほか、一般市民など多数
[編集] 1999年のほかの受賞語
[編集] 脚注
- ^ アエラ 2000年7月3日号 p.29
- ^ 毎日新聞 2002年2月7日付 東京朝刊 24面
- ^ 毎日新聞 2000年5月15日付 地方版 鹿児島
- ^ 毎日新聞 2000年5月15日付 中部朝刊 25面
- ^ 毎日新聞 2000年4月6日付 東京朝刊 30面
- ^ 毎日新聞 2001年5月24日付 東京朝刊 3面
- ^ 毎日新聞 2000年5月24日付 大阪朝刊 16面
- ^ 毎日新聞 2000年5月15日付 大阪朝刊 29面
- ^ 朝日新聞 2000年4月13日付 朝刊 27面
- ^ 読売新聞 2000年5月15日付 大阪朝刊 32面
- ^ 朝日新聞 2004年4月22日付 夕刊 1面
- ^ 朝日新聞 2003年1月1日付 朝刊 1面
- ^ 読売新聞 2000年5月15日付 大阪朝刊 32面
- ^ 朝日新聞 2000年3月7日付 朝刊(京都)27面
[編集] 関連項目
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