ブロニスワフ・マリノフスキ
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ブロニスワフ・カスペル・マリノフスキ(ブロニスロウ・キャスパー・マリノフスキー)(Bronisław Kasper Malinowski, 1884年4月7日 - 1942年5月16日)は、ポーランドのクラクフ出身の人類学者。
ヤギェウォ大学で数学と物理学を専攻し、1908年に学位を取得。その後ライプツィヒ大学で二年ほど学び、そこでヴィルヘルム・ヴントの民族心理学に影響を受ける。関心の領域を人類学に移したマリノフスキは、当時、ジェームズ・フレイザーなどイギリスの人類学者がもっとも有名であったので渡英を決意する。1910年にロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで人類学を研究する。
主著に、『西太平洋の遠洋航海者』がある。これは、母権制社会の色彩を残すトロブリアンド諸島においてクラ交易という社会的価値の交換が行われていることを明らかにした名著であり、また、この研究においてはじめてフィールドワークと呼ばれる研究手法が用いられた。