ホセ・ルイス・ロドリゲス・サパテロ
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スペイン5代首相
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任期: | 2004年4月 – 現職 |
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出生日: | 1960年8月4日 |
生地: | バリャドリッド |
政党: | スペイン社会労働党 |
配偶: | ソンソーレス・エスピノサ |
ホセ・ルイス・ロドリゲス・サパテロ(José Luis Rodríguez Zapatero, 1960年8月4日 - )は、スペインの政治家。スペイン社会労働党書記長(2000年7月 - )、首相(2004年4月 - )。
サパテロは、バリャドリッド (Valladolid) の生まれだが、彼の両親はレオン (León) の出身であり、伝統的に左翼陣営の家系である。彼の祖父は、1936年から始まったスペイン内戦の初期に、クーデターを起こしたフランコ将軍派に処刑された、人民戦線政府軍の大尉だった。フランコ総統の死後、最初の民主的選挙が行われた1977年、17歳のサパテロは、フェリペ・ゴンサーレスが率いる社会労働党の政治集会に参加し、翌1978年に入党した。
サパテロは1982年までレオン地区の社会主義青年団長を務め、レオン大学法学部卒業後、1986年に26歳で下院議員に初当選した。1988年、党のレオン支部長に選出。1997年、党中央執行部の委員に就任。2000年7月22日に行われた党の定例会議において、サパテロは39歳で書記長(中央執行委員長)に選出された。彼は、イギリスのブレア首相が掲げる『第三の道』に影響を受けた『新たな道』 (Nueva Vía) を提唱する党内新世代の代表である。
スペインでは、1996年まで社会労働党政権が続いたが、アスナール率いる国民党に政権を奪われ、2000年3月の総選挙でも社会労働党は政権を奪還できなかった。2004年3月14日に投票された総選挙において、サパテロは社会労働党の首相候補となり、国民党との対決姿勢を示したが、選挙直前まで国民党の優位は変わらなかった。しかし、3月11日に、マドリードで起きた列車爆破テロが全てを変えた。この事件に対する政府の対応への批判が与野党逆転へと導き、社会労働党が勝利した。4月2日、新国会が召集され、4月16日に首相信任投票が行われてサパテロは首相に選出された。
サパテロは、社会労働党の政権は、テロに対して弱腰の姿勢はとらない、スペインの統一を危うくする地域的民族主義者、バスク祖国と自由 (ETA) を許さないと主張してきた。また、これまでアスナール政権がとってきた米英寄りの外交政策を転換し、就任間もない4月18日にイラクからの撤兵を指示し、イラクでの混乱が続く中でのスペインの早期撤兵決定は国際社会に波紋を広げた。
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