ホンダ・スペイシー
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SPACY(スペイシー)とは、本田技研工業が製造販売しているスクータータイプのオートバイであり、シリーズ車種として排気量別に数車種が販売されている。
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[編集] SPACY50・SPACY80
スペイシー50は1982年に発売された。当時の50ccスクーターとしては珍しく4サイクルエンジンを搭載し、初期型には、3速オートマチックミッションを装備した。近未来的イメージな直線基調のデザインとなっており、イメージに沿って速度計などに液晶メーターを用いていた。
後に排気量を上げたスペイシー80(76cc。後に79cc)も同年に発売され、1984年にはモデルチェンジも受けたが、その後はエンジン構造により他車との比較で性能が劣ることなどから、共に国内では生産終了となった。
しかしスペイシー80については海外で生産が継続され、多少の変更は受けたものの、現在もElite80(エリート80)いう車名で北米を中心に発売されている。
[編集] SPACY125
スペイシー125は1983年にスペイシー125ストライカーとして発売された。先に発売されていた50・80同様のデザインとなっており、二輪車として初めて自動収納式リトラクタブル・ヘッドライトを採用した。また水冷エンジンを採用し、冷却用のラジエターから放熱された熱を、足元へ送る機能も装備されていた。
1987年にフルモデルチェンジされて名称は短縮され、外見はエアロフォルム曲線基調のデザインに変更されている。ただしその裏返しとしてフロント部分の造形に妙な平らさがあり、特に白色モデルについては「紋甲イカ」という変わったあだ名がつく事になった。
1995年に再びフルモデルチェンジされ、エンジンは水冷から空冷に変更されたが、フロントディスクブレーキとメットインスペースが装備された。デザインは実用的な落ち着いた形となり、現在も小規模な変更は受けたものの、そのまま発売され続けている。2005年からは普通自動二輪車免許小型オートマチック限定用の教習車仕様も発売された。
スペイシー125は特にヒットとなった車両ではないが、国産のスクーターとしては最も長い歴史を持つ車両であり、ユーザーからは信頼性の高いモデルという評価を受けている。
[編集] SPACY100
スペイシー100は2003年に発売された。それまで発売されていたリード100からのモデルチェンジ車であり、4サイクル102ccエンジンを搭載している。この車両は製造をトゥデイ同様に中国で行うことにより、販売価格を20万円未満に抑えたことから注目を集めた。警察官のパトロールバイクとしても利用されている。
しかし後にスズキが同価格帯で、より小柄な車体に4サイクル125ccエンジンを搭載したアドレスV125を販売開始し、価格競争は激しくなっている。
[編集] SPACY250FREEWAY
スペイシー250フリーウェイは1984年に発売された。日本のスクーター史上初の水冷244cc単気筒エンジンを搭載し、下位モデル同様の直線的デザインを持つ車両であったが、ヘッドライトは固定式となっている。
1989年にフルモデルチェンジして終了。史上初250ccクラスメットインスクーターフリーウェイが発表された。