ポートアーサー事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ポート・アーサー事件 (The Port Arthur Massacre) は、1996年4月28-29日にオーストラリア・タスマニア島の観光地、ポート・アーサーで起こった大量殺人事件。1982年に韓国の警察官禹範坤が一晩に57人(56,58,61人説もある)を殺害した事件に次ぎ、単独犯による短時間での大量殺人としては、世界第2位の犠牲者を出した事件である。
[編集] 事件の経緯
当日は日曜日だった。午後1時半ごろ、マーティン・ブライアントは最初の事件現場となったカフェに車に乗って訪れ、外のテーブルに座ってランチを注文して食べた。その後、「今日はジャップはいない。ワスプばかりだ」とつぶやいて店内に入り、黒いスポーツバッグからAR-15アサルトライフルを取り出して、無差別に発砲。わずか90秒の間に、20人の死者と12人の重軽傷者を出した。
さらにカフェの駐車場に向かって発砲し、観光バスの運転手や乗客を射殺。自分の車を運転しながらも通行人を次々に射殺した。数百メートル離れたガソリンスタンドに到着するや、そこにいたカップルの女性を射殺。相手の男性を車のトランクに押し込めて再び運転して、コテージに到着すると、男性を車のトランクから引きずり出して、車に火をつけた後、男性と共にコテージに立てこもる。
コテージの主人が銃の収集家であることが判明するも、コテージのオーナー夫妻やガソリンスタンドから連れ出された男性の情報が掴めず、数百人の警察とマスコミ、野次馬がコテージを取り囲んでいたが、犯人から何の連絡もなく、一夜が過ぎた。
事件の翌朝、コテージから出火するや、犯人が飛び出してきて、すぐに取り押さえられた。
焼け跡から、オーナー夫妻、ガソリンスタンドから連れ出された男性の遺体が発見された。後にオーナー夫妻と犯人が知り合いで、彼がカフェに向かう途中ですでに夫妻を射殺していたことが判明した。
[編集] 事件後
最終的に、死者35人、負傷者15人を数えた。
犯人は、精神鑑定で責任能力ありと判断され、死刑制度のないオーストラリアが彼に宣告した刑は、仮釈放なしの終身刑であった。動機は今もはっきりわかっていない。
犯人がAR-15を何らの事前審査もなく購入していたことが報じられると銃規制を求める声が高まり、この事件が起こってわずか12日後に、ミリタリータイプのセミオートライフルの輸入と販売が禁止されることが決定した。
2002年2月未明、刑務所内で犯人は自殺を試みるも未遂に終わり、現在服役中である。
最初に警察に事件発生を届け出た目撃者が「殺人者はマーティン・ブライアントではなかった」と証言していることや、彼のIQが66とかなり低いこと、いまだに動機がはっきりしないことなどから、「真犯人は別にいて、マーティン・ブライアントはハメられて犯人にされてしまった」さらには「すべては銃規制推進派による陰謀である」という説も流れている。