マルグリット・ド・ナヴァル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マルグリット・ド・ナヴァル(Marguerite de Navarre, 1492年4月11日 - 1549年12月21日)は、ナバラ王エンリケ2世の王妃。フランス・ルネサンス期の文芸の庇護者として知られ、自身も『エプタメロン』に代表される諸作品を残した文人である。フランス王フランソワ1世の実姉に当たる。
マルグリット・ダングレーム(Marguerite d'Angoulême)、マルグリット・ドルレアン(Marguerite d'Orléans)、マルグリット・ド・フランス(Marguerite de France)、マルグリット・ド・ヴァロワ(Marguerite de Valois)などと呼ばれることもある(最後の2つについては、アンリ2世の娘マルグリットをはじめ、同じように呼ばれる人物が複数いる)。
アングレーム伯シャルル・ドルレアンと、サヴォイア公フィリッポ2世の娘ルイーズの娘として、アングレームで生まれた。1509年にアランソン公シャルル4世と最初の結婚をした。夫に先立たれた後の1527年に、ナバラ王エンリケ2世(アルブレ伯アンリ・ダルブレ)と再婚した。彼との間には、後にナバラ女王となり、更にアンリ4世の母ともなるジャンヌ・ダルブレをもうけることになる。マルグリットは、1549年にオード(Odos, 現在のオート=ピレネー県内)で没した。
彼女は、宗教改革の第一波にあたって示した好意的な姿勢や開明性によっても知られている。彼女は、ナヴァルの宮廷を人文主義者の拠点にしていた。マルグリットは文芸に理解があったため、当時の作家には、ラブレーのように著書にマルグリットへの献辞を収めた者も見られた。
[編集] 文学作品
マルグリットは自身でも作品をものしている。ピエール・ボエスチュオーは、彼女の小説の最初の編纂者となった。
- Dialogue en forme de vision nocturne(1525年)
- 詩篇『罪深き魂の鏡』(1531年)。これは1533年に再版された時にソルボンヌから攻撃され、フランソワ1世の干渉を招いた。この書は、信仰と慈善によって救済の道を開く福音主義思想が刻印されている。この書には、多くの他の詩篇も付随している。それらには、マルグリットが宗教的テクストに代えて世俗的な歌の詩的構造を用いたエスプリ的詩歌も含まれている。
- Les Marguerites de la Marguerite des princesses(1547年) - マルグリットの詩集。
- 『エプタメロン(七日物語)』(1542年 - )。マルグリットは1542年に、『エプタメロン』の執筆を始めた。これは、1414年以降フランス語訳も出されていたボッカチオの『デカメロン』をモデルとしたものである。だが、1549年のマルグリットの死によって中断され、本作品は7日間に展開された72篇の小説しか集めていない。それらの小説は、『デカメロン』と同じように、物語の枠内で語られている。本作品では、大嵐で立ち往生した10人の旅人たちが修道院に集まり、嵐をやり過ごす間、様々な記録の中の実話に耳を傾ける。この作品の成功は、つまるところ会話を特別視したことによる。というのは、どの小説も聴衆によるコメントが寄せられているからである。