ミッシェル・ポルナレフ
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ミッシェル・ポルナレフ(Michel Polnareff, 1944年7月3日 - )はフランス出身のシャンソン歌手、ピアニスト、作詞家、作曲家。彼の名はフランス語では「ミシェル」と綴るのが近いが、公式には「ミッシェル」であるため項目名もこれに倣う。
幼少期からクラシックの教育を受けていたがロックンロールを知りクラシック音楽から方向転換。
1966年5月、4曲入りEP「ノンノン人形」でデビュー。続くEP「愛の願い」も大ヒット。日本(10月にテイチクよりシングル「ノンノン人形」が発売)でもリリースが決定し、11月にはフランスでファースト・アルバムを発表する。当時のレコードにはギタリストのジミー・ペイジも参加していた。
その後も大ヒットを連発しスーパースターとなる。
1971年8月にCBSソニーよりシングル「シェリーに口づけ」と、ファースト・アルバムに「シェリーに口づけ」を追加収録したアルバム「愛と青春のトルバドゥール/ミッシェル・ポルナレフ1」が発売される。「シェリーに口づけ」は日本で40万枚を売り上げる大ヒット・シングルとなった。日本での快進撃はこのときから始まる。異様に大きなサングラスのルックスでも話題を呼んだ。また股間のみを帽子で隠したヌードも披露。当然当時の日本の男性アイドルではあり得ない格好であり、人々の度肝を抜いた。
その後、版権の関係で長い間、国内盤が廃盤になっていたが、前述の「シェリーに口づけ」が2000年に日本移動通信(現在のau)のCMで使用されるようになったのをきっかけにユニバーサルミュージックK.K.から国内盤やベストアルバムが再発売されるようになった。尚この曲は2006年にも、本田技研工業「ゼスト」のCMに起用されている。「シェリーに口づけ」は、シルヴィー・バルタンの「アイドルを探せ」などとともに、日本でもよく知られたフレンチ・ポップスのスタンダードナンバーとなっている。
2007年3月2日 本国フランスでは34年ぶりとなるコンサートツアーをパリから開始。
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[編集] 来日公演
- 1972年 日本武道館(11月17、18日 ヤマハ世界歌謡祭ゲスト出演)、東京郵便貯金会館(11月19日)、東京厚生年金会館 (11月20日)
- 1973年 東京厚生年金会館(6月8~11日)、名古屋市民会館(6月12日)、大阪厚生年金会館(6月13日)、フェスティバルホール(6月15日)、福岡市民会館(6月16日)、広島郵便貯金ホール(6月18日)、京都会館(6月20日)、大阪厚生年金会館(6月21日)、静岡駿府会館 (6月22日)、東京厚生年金会館 (6月23日)
[編集] ディスコグラフィ
[編集] シングル
- 1971年 「シェリーに口づけ」 「愛の願い」
- 1972年 「哀しみの終わるとき」 「愛のコレクション」 「渚の想い出」 「愛の休日」
- 1973年 「忘れじのグローリア」 「火の玉ロック」 「愛の伝説」
- 1974年 「僕はロックンローラー」 「悲しみのロマンス」 「悲しきマリー」 「大乱戦のテーマ」
- 1975年 「青春の傷あと」
- 1976年 「リップスティック」
- 1977年 「哀しみのエトランゼ」
- 1979年 「愛のシンフォニー」 「天使の遺言」
- 1999年 「僕は世界の夢を見る」
[編集] アルバム
- 1971年 「愛と青春のトルバドゥール/ポルナレフ1」 「フレンチ・ポップスのスーパースター/ポルナレフ2」
- 1972年 「ポルナレフの世界/ポルナレフ3」 「ポルナレフ・ナウ/ポルナレフ4」(日本編集盤) 「ゴールド・ディスク」(ベスト盤)
- 1973年 「ポルナレフ・ア・トーキョー」(ライブ盤) 「ポルナレフ革命」 「ギフトパック・シリーズ」(企画盤)
- 1974年 「大乱戦」 「熱狂のオランピア」(ライブ盤) 「ポルナコレクション」(日本編集盤)
- 1975年 「ポルナレフUSA」
- 1979年 「美しきロマンの復活」
- 1981年 「シャボンの中の青い恋」
- 1985年 「アンコグニート」
- 1990年 「カーマスートラ」
- 1995年 「ライブアットロキシー」