ムーランルージュ新宿座
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ムーランルージュ新宿座(-しんじゅくざ)は、戦前から戦後にかけて東京・新宿角筈に在った大衆劇場。本家のフランスのパリにあるムーラン・ルージュと同様にフランス語で「赤い風車」という意味。パリにあるのはキャバレーであるが、こちらは劇場である。入り口には赤い風車が回っており、当時の新宿の街の名物にもなっていた。当時山の手を代表する歓楽街になりつつあった新宿の芸能文化に触れる上で欠かせない存在である。ここ出身の有名な俳優も多い。当時は浅草などに娯楽施設が集まっていた事もあって、新宿はおろか山の手方面でも貴重な劇場であり、この方面に住んでいた文化人にも親しまれていた。
[編集] 概要
1931年12月31日に現在の新宿駅東口にある武蔵野館そばに開場。当時浅草興業街で経営者として活躍していた佐々木千里が個人で開いた劇場である。定員は500人。レビュー・軽演劇などを色々なものを演じていた。当初は浅草あたりで演じていた軽演劇の再現でしかなく経営も思わしくなかったが、やがて様々な俳優が出演するようになり、ムーランルージュ独自のカラーの演劇を確立していく。次第に評判を呼び満員になるほどの盛況ぶりとなっていた。第二次世界大戦中の1944年に経営は松竹の手に移った。また、外国語の使用が禁止となり「作文館」と改称。戦後は松竹の手を離れストリップショーなど新しいジャンルの娯楽が流行るが、やがて廃れて1951年に閉館された。