メテオラ
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メテオラ |
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聖ヴァルラアム修道院 | |
(英名) | Meteora |
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(仏名) | Météores |
面積 | 3.75 km² |
登録区分 | 複合遺産 |
登録基準 | 文化遺産(1),(2),(4),(5) |
自然遺産(7) | |
登録年 | 1988年 |
拡張年 | |
IUCN分類 | III (Natural Monument) |
備考 | |
公式サイト | ユネスコ本部(英語) |
地図 | |
メテオラ(Μετέωρα)はギリシア北西部、セサリア(テッサリア)地方北端の奇岩群とその上に建設された修道院共同体、いわゆるメテオラ修道院群の総称である。その地形及びギリシア正教修道院文化の価値からユネスコ世界遺産(文化・自然複合遺産)に指定されている。その名はギリシア語で「中空の」を意味する「メテオロス」(μετέωρος)という言葉に由来している。
目次 |
[編集] 修道院の歴史
メテオラの険しい地形は、俗世との関わりを断ち祈りと瞑想に生きるキリスト教の修道士にとっては理想の環境と見なされ、9世紀には既にこの奇岩群に穿たれた洞穴や岩の裂け目に修道士が住み着いていた。この時代の修道士は現在のような修道院共同体を形成する事はなく、単独で修行する隠修士が主流であった。
メテオラに修道院共同体が成立したのは、14世紀、セルビア王国がセサリア地方に勢力を拡大してくる時代であるといわれる。それまで東ローマ帝国で修道院活動の中心を担っていたアトス山は1346年にはセルビア領の中に組み込まれた。セルビア王ステファン・ウロシュ4世ドゥシャンはアソスの修道院に多大な保護を与えその活動を奨励したが、当時の戦乱を避けて多くの修道士がアソスを出て南下し、メテオラに住み着いた。その一人が修道士アサナシオスで、彼はメテオラに主の変容(メタモルフォシス)修道院を創立した。アサナシオスはアトスに於ける修道院共同体の様式、いわゆるキノヴィオン(共住)を導入して修道院共同体の確立に努めた。これらに前後して聖ニコラオス、聖ステファノスなどの修道院も創立されている。
アサナシオスの活動は彼の高弟であるセルビア王子修道士ヨアサフによって受け継がれる事になった。ドゥシャン王の異母弟でセサリア君主の座に就きメテオラにも保護を与えていたシメオン・ウロシュ・パレオロゴスの息子であるヨアサフは、早くからこの地の修道士と交流を持ち、セサリアの支配権と俗世の生活を捨ててメテオラに隠退した。1384年の師アサナシオスの死後、彼は変容修道院の院長に就任し、主聖堂の再建など、修道院の整備に尽力した。
1393年から翌1394年にかけて、バルカン半島に支配権を広げていたオスマン朝はセサリアをも併合した。長い異教徒支配の時代がここに始まり、初期には異教徒支配を嫌い、アソスに移住する修道士も見られたが(ヨアサフもその一人である)、オスマン朝はメテオラの修道院に一定の保護を与えその活動を保証したので、間もなく修道士も戻り、変わりなく修道活動が継続された。1490年には変容修道院がメテオラの全修道院を統括する存在となり、「大メテオロン」の異称が一般化していく。15世紀後半には至聖三者(アギア・トリアダ)修道院が、16世紀にはヴァルラアム修道院とルサヌ修道院がそれぞれ現在の形で創立された。この時代には「クレタ派」と呼ばれるイコンの流派がこの地で活動し、現在も残る数多くの傑作フレスコ画を残している。
メテオラを含むセサリア地方の大半は露土戦争後の1881年にギリシア領に編入された。近代国家の中でも修道院活動は続いたが、近年は新たな問題が持ち上がってきた。メテオラの風光明媚な景色と修道院文化への関心からこの地域も観光地化が進み、世俗を避ける修道士にとっては活動に適さなくなりつつある。その為、メテオラを捨てより閉鎖的なアソス山に移住する修道士が増加している。争乱の時代にアソスを捨てた修道士によって建設されたメテオラ修道院共同体であるが、今度は近代化の波の中で逆の現象が生じたのである。なお、20世紀に入り、二つの修道院が女子修道院に改組されて現在に至っている。
[編集] メテオラの修道院(現在活動中のもの)
- 大メテオロン修道院(Ιερά Μονή Μεγάλου Μετεώρου)は「救世主の変容」を意味するメタモルフォシス(Μεταμόρφωση του Σωτήρος)の名前でも呼ばれ、1387年に建立された同名の主聖堂がある。壁画は1483年から1552年間に作成されたものが今も残る。かつての食堂の建物が現在は博物館として公開されている。
- ヴァルラアム修道院(Ιερά Μονή Βαρλαάμ)は大メテオロンのすぐ隣に立つ修道院である。14世紀に活動した隠修士ヴァルラアムの居所に、ヨアニナ出身のセオファニスとネクタリオス修道士兄弟によって現在の修道院が建てられた。修道院内部にはフランゴス・カテラノスによるフレスコ画が残る。
- ルサヌ修道院(Ιερά Μονή Ρουσσάνου)は大メテオロン同様に救世主変容を記念した修道院であるが、同時に聖女バルバラ(Αγία Βαρβάρα)にも捧げられている。現在の修道院は1545年の創立。垂直に切り立った岩の上に三層建ての修道院の建物が建つ。1950年以降、女子修道院となっている。
- 聖ニコラオス・アナパフサス修道院(Ιερά Μονή Αγ. Νικολάου Αναπαυσά)は通常聖ニコラオス修道院と略称される。14世紀にラリサ府主教・スタギ(現カランバカ)・ニカノル修道院の聖ディオニシオスにより創建。クレタ出身のセオファニスという画家による壁画が残る。
- 聖ステファノス修道院(Ιερά Μονή Αγ. Στεφάνου)はルサヌ修道院同様に女子修道院。メテオラの中では修道士の活動が早くから見られた場所で、1192年には隠修士イェレミアスがいた事が知られている。修道院そのものは14世紀前半に存在していたが、1367年に共住の修道院として創建。主聖堂には聖ハラランボスの聖遺物を収めている。
- アギア・トリアダ修道院(Ιερά Μονή Αγ. Τριάδος)は至聖三者に捧げられた修道院。15世紀後半、ドメティオスによる創建。
[編集] 交通
列車・・・アテネよりテッサロニキ方面の列車に乗り、パレオファルサロスで乗り換えて、最寄駅のカランバカへ(一日数本だが乗り換えが不要な便もある)。カランバカからは、バスがわずかに出ている。(帰りのバスはないので、徒歩かタクシーになる)
[編集] 登録基準
この世界遺産は、世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた。
- (1) 人類の創造的才能を表現する傑作。
- (2) ある期間を通じて、または、ある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
- (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する、建築様式、建築物群、技術の集積、または景観の優れた例。
- (5) 特に、不可逆的な変化の中で存続が危ぶまれている、ある文化(または、複数の文化)を代表する伝統的集落、または、土地利用の際立った例。
- (7) ひときわすぐれた自然美及び美的な重要性をもつ、最高の自然現象、または、地域を含むもの。