モスクワ中山大学
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モスクワ中山大学(もすくわちゅうざんだいがく)は1925年秋、ソビエト連邦の支援によりモスクワに成立した大学。孫文の対ソ政策により誕生したため、その号である中山を冠して命名された。入学した学生は中国国民党党員のみならず、多くの中国共産党党員も入学し、国共合作による中国革命の政治理論を骨格に教育を行なった特殊学校である。
しかし1927年7月26日、国民党中央執行委員会は声明を発表し、モスクワ中山大学との関係を一切断ち、同時に党内及び行政組織組織に対しモスクワに留学生を派遣することを厳禁した。このためモスクワ中山大学は1930年夏に解散され、僅か5年という短い期間でその歴史に幕を下ろした。
短命に終わったモスクワ中山大学であるが中国現代史に大きな影響力を残している。国民党では蒋介石の子である蒋経国を初め、馮玉祥の子の馮洪国、馮弗能、馮弗伐、邵力子の子の邵志剛、葉楚傖の子の葉楠、于右任の子の于秀芝などが、共産党では28ボリシェヴィキで登場した烏蘭夫、葉剣英、董必武、林伯渠、徐特立、何叔衡、楊之華、楊子烈、施静宜などが学んでいる。
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