モンキー乗り
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モンキー乗り( - のり)(競馬用語)は、競馬における騎乗法の一つ。鞍に腰を下ろさずに、鐙(あぶみ)の上につま先で立ち、腰を浮かせて背を丸め、膝でバランスを取りながら前傾姿勢で騎乗する方法。一説によると猿が馬に乗るときの姿がこの姿だったことからこう呼ばれるようになった。競走馬に騎手の体重をかけにくい乗り方で、馬に対する負担が少ない反面、騎乗姿勢は不安定になりがちであるといわれる。それ故に、鞍に腰を下ろし背を伸ばして騎乗する天神乗りに比べ騎手自身が斤量を背負い辛く、テンポイントのアクシデントも「騎手が背負いきれない錘をテンポイント自身が背負う形になった」のが原因の一つと言われている。その為、モンキー乗りが主流になってから斤量を背負って走る事はテンポイントの一件もあり稀となった。因みに、モンキー乗りをする際には通常、天神乗りをする際よりも鐙を短くする。
なお競艇では、選手がボートでターンマークを回るときにこのような姿勢を取ることが多く、モンキーターンと呼ばれる。
[編集] 歴史
モンキー乗りの発祥地はアメリカとされる。黒人の少年が我流で編み出したものであるという説があるが、必ずしも定かではない。ヨーロッパにモンキー乗りを普及させたのはアメリカ出身の騎手・トッド・スローンである。スローンは1890年代にアメリカでモンキー乗りをマスターし、1897年にイギリスに渡ると4割を超える勝率を残した、スローンのモンキー乗りは「スローン乗り」としてイギリス、さらにはヨーロッパに普及した。スローンがイギリスで初めてモンキー乗りを披露した際には嘲笑の的になったというが、今ではモンキー乗りは世界の競馬におけるもっとも一般的な騎乗法である。
[編集] 日本におけるモンキー乗り
日本においては初めてモンキー乗りを実践したのは1907年に来日したオーストラリア人騎手W・H・コッフェーとされる。ただし当時の日本の競走馬は欧米の競走馬よりも騎手の命令に対する反応が悪く、コッフェーは鐙を長くして騎乗していたため、モンキー乗りと天神乗りの中間というべきスタイルであったという。コッフェーの騎乗スタイルは赤石孔・徳田伊三郎・美馬勝一・伊藤勝吉・中村一雄ら日本人騎手によって模倣され、太平洋戦争終戦後には野平祐二が独自に研究したモンキー乗りを、さらにアメリカ出身のロバート・アイアノッティがアメリカ式のモンキー乗りを実践したものの、広く普及するには至らなかった。
日本においてモンキー乗りが普及するようになったのはハクチカラのアメリカ遠征(1958年)に同行し渡米した保田隆芳が現地で習得し、帰国後日本で実践するようになってからのことである。現在、日本の平地競走においてはすべての騎手がモンキー乗りで騎乗している。