ヨハネス22世 (ローマ教皇)
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ヨハネス22世(Ioannes XXII 1244年? - 1334年12月4日)は、アヴィニョン捕囚の時期のローマ教皇(在位1316年-1334年)。
[編集] 経歴・人物
カオール(フランスの南西部)出身、本名は ジャック・ドュエーズ(Jacques Duèze)。フレジュ司教、アヴィニョン司教を経て1312年枢機卿になる。1314年に前教皇クレメンス5世が死去してから2年間教皇は空位であったが、1316年教皇に選出される。
三位一体の祝日を制定したという。また、教会財政の確立に努め、ヨハネス22世が死去したとき、教皇庁の金庫には大量の金貨が納められていたといわれる。
在位中の1328年、神聖ローマ帝国皇帝ルートヴィヒ4世の後押しによりローマでフランチェスコ会修道士のピエトロ・ライナルドゥッキが教皇ニコラウス5世を名乗る(対立教皇)が、やがて支持を失い1330年に退位、捕らえられてアヴィニョンに送られる。
[編集] 行動
- 魔女を異端として扱うことを決める。(魔女狩りの項を参照)
- オッカムのウィリアムやマイスター・エックハルトに異端審問を行う(オッカムは逃亡、エックハルトは投獄中に死去)。
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