ライオネス飛鳥
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ライオネス飛鳥(らいおねす あすか、1963年7月28日-)は元女子プロレスラー。本名・北村智子。東京都生まれ。
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[編集] 経歴
埼玉県立蓮田高等学校を中退後、1980年に全日本女子プロレスに入団、同年5月10日にデビュー。後に長与千種とのクラッシュギャルズで一大ブームを巻き起こす。1981年には全日本ジュニア・チャンピオン。1982年には全日本チャンピオン。1984年8月にはクラッシュギャルズがWWWA世界タッグ王座を獲得、さらに同年8月、「炎の聖書」でレコードデビュー。1989年春に現役を引退。
[編集] その後
引退後は女子プロレスの解説をしながら芸能活動を始め、1990年には「のぞみ・ウィッチィズ」で映画デビュー。また日本自動車連盟(JAF)の国際A級ライセンスを取得し、カーレースにも出場。1994年10月に行われた全女の東京ドーム大会にて女子プロレスラーとして現役復帰、ジャガー横田・バイソン木村と共に『雷神隊(ライジーン・アレイ)』を結成するが、ブランクと甲状腺疾患による体調不良から思うように試合が出来ず、苦しい日々を過ごす。
その後、吉本女子プロレスJ'dにフリーランスとして戦いの場を移し、ブランクと甲状腺疾患を克服しヒールに転向、J'dのみならず、FMWやLLPWでも活躍の場を広げる。1998年12月27日後楽園ホール大会にてGAEA JAPAN初登場。1999年4月4日、1999年9月15日に行なわれた長与千種との2度に渡る凄絶なシングルマッチを経て、2000年3月12日に再結成を宣言。2000年5月14日に行なわれたGAEA旗揚げ5周年記念有明コロシアム大会で「クラッシュ2000」として再始動。この有明大会での観客動員数は8000人を超え、クラッシュ復活を観ようと観戦バスツアーも組まれた。その後もGAEAを中心に活躍していたが首の故障により2004年11月3日の後楽園ホール大会で引退を発表。翌年2005年4月3日、GAEA JAPAN横浜文化体育館大会にて引退。
[編集] 得意技
- ライガー・ボム
- パワーボムの要領で相手を抱え上げ、開脚しながら相手の後頭部をマットに叩き付け、両足で相手の腕を押さえる技。体重の軽い相手に対し積極的に使用していた。
- フリーバード・ボム
- バックドロップの要領で相手を後ろから抱え、前方で相手の体を水平に回転させて叩き付ける技。後期では主に繋ぎの技として使われた。
- タワーハッカー・ボム
- 相手を逆アルゼンチン・バックブリーカーのように肩に担ぎ、自分の首を支点に相手の体を水平に回転させながらライガー・ボムのようにマットに叩き付ける技。フリーバード・ボムを返されることが多くなり新技の開発を迫られ、より高いところから相手を叩き付ける方法を模索して開発された技。後期のメイン必殺技。
- LSD I~III
- タワーハッカー・ボムを返された時にだけ出す取って置きの必殺技。Iは変形のフィッシャーマン・バスターからホールドするがほとんど使われた事がない。IIIはフィッシャーマン・バスターの体勢から相手を回転させ前方へファルコン・アローのように脳天から叩き付ける技。技名のLSDは「ライオネス・サプライズ・ドライバー」の略。
- スーパーライガー・ボム
- コーナーのセカンドロープ上に長机をかけ足場を作り、その上からマットに向かってライガー・ボムのように叩き付ける技。ヒール転身後に時折使用していた。
- 逆回し蹴り
- しゃがんだり膝をついたりして体勢を低くした相手に向かってその場で横向きに前転し、その遠心力を利用して踵で相手の顔面を蹴る技。浴びせ蹴りに近いが縦回転ではなく横回転なので、相手に当たるタイミングが早く避けづらいのが特徴。ボム系の技を狙う前に使用していた。後に加藤園子に継承される。
- ハードコア・ダイビング・フットスタンプ
- 相手を仰向けに寝かせてその上に脚を折りたたんだ長机を乗せ、その上にフットフタンプを決める技。机の金具がめり込むので見た目より痛いらしい。場外に向かって使用することもある。
- 毒霧
- グレート・ムタお得意の必殺技、青緑の塗料の混じった液体を口に含んで相手の顔面に吹きかける。
[編集] 主なタイトル歴
- WWWA世界シングル王座
- WWWA世界タッグ王座
- オールパシフィック王座
- 全日本シングル王座
- 世界統一グローバル王座
- TWF世界女子王座
[編集] 外部リンク
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