ルキウス1世 (ローマ教皇)
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ルキウス1世(Papa Lucius I, ?-254年3月5日)はローマ教皇(在位253年6月25日-254年3月5日)。ローマ出身、父親の名前はポルフィリウスであったという。
彼はトレボニアヌス帝の迫害下に教皇に選出され、前任者のコルネリウスと同じように逮捕された。しかし、後をついだウァレリアヌス帝が迫害の手をゆるめたため、解放された。ルキウス1世はコルネリウスと同じような思想をもっていたことがキュプリアヌスの書簡から伺われる。結局、ヴァレリアヌス帝の迫害下で殉教することになったようだが、くわしいことはわからない。
彼の墓地は今でもローマのサン・カリストゥスのカタコンベにある。後に彼の遺体は聖女セシリアの遺体と共に聖セシリア教会に移されたという。さらに1100年ごろ、ロスキルデの手によってデンマークに運ばれ、ゼーラントの守護聖人であることからコペンハーゲンのアンスガリオ教会に安置されたという。デンマークにふきあれた宗教改革の嵐の中でルキウス1世関係の遺物はほとんどが失われてしまった。
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