ロブ・ディアー
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ロブ・ディアー(Robert George Deer、1960年9月29日 - )はカリフォルニア州出身。昭和後期から平成期(1980年代-1990年代)のアメリカメジャーリーグで活躍したプロ野球選手。スポーツ・イラストレイテッド誌の表紙を飾ったこともある。1994年には日本のプロ野球、阪神タイガースでプレーした。
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[編集] 来歴・人物
1978年にドラフト4位でジャイアンツ入りし、1984年にメジャー昇格を果たす。その後はブルワーズ、タイガース、レッドソックスと渡り歩く。1994年にメジャー通算11年で226本塁打という実績を引っさげ、鳴り物入りで阪神へ入団(年俸は2億7000万円)。背番号は、57。
キャンプに合流すると、打撃練習で凄まじい飛距離の打球を披露。キャンプ地安芸市民球場では急遽、「ディアーネット」が設置されたほどである。ところがシーズンに入ると、外角低めの落ちるボールに対してことごとく空振りし三振のみを量産。それでも尚、大金が投じられたためか亀山努をベンチに下げてまで彼を使い続けた中村監督(当時)のコメントが「いつか打つだろう」。
しかし故障して離脱するまでの70試合で打ったホームランは僅かに8本(全てデーゲームだった、鳥目という説あり)、打率に至っては.151。逆に三振率はあのブライアントを軽く上回り、4割に迫ろうかという数字(.396)で、ついたアダ名が「2億7000万円の大型扇風機」。結局、8月に右手親指靭帯断絶で帰国し、二度と戻って来ることはなかった。帰国後はサンディエゴ・パドレスでメジャー復帰を果たす。
同僚のトーマス・オマリーと仲が良く、一緒に阪神甲子園球場でお立ち台に立った際オマリーの決め台詞だった「ハンシンファンハ、イチバンヤァー」を一緒に披露したことがある。
ちなみに安芸市民球場にある「ディアーネット」は現在も残されている。(名称もそのまま)
[編集] 日本での成績
- 出場70試合 192打数 29安打 8本塁打 21打点 76三振 打率.151