背番号
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背番号(せばんごう)とは、スポーツ選手のユニフォームの背中に識別のためにつける番号のことである。試合ごとに背番号が変わる競技はともかく、選手が常に同じ背番号をつける競技であれば、数字さえ覚えておけば、選手名を見なくても(選手名は番号表示より小さい、名前表示がない場合さえある)誰なのかが分かる。
背番号の文字には現代では、アラビア数字が使われるが、日本においては漢数字が使われた時代がある。競技によっては、特定の数字の使用を禁じるルールが採用される場合もある。
団体競技の場合には、大抵のスポーツで背番号が与えられる。個人競技の場合には、ゴルフなど背番号とは無縁のものと、陸上競技などのように背番号(選手登録時に申告した番号または競技会主催者が用意したもの)が与えられるものがある。
背番号により概ねのポジションが推定可能である場合がある。
プロスポーツにおいては、名選手を称えるため、その選手の背番号を永久欠番として使用を控える場合がある。また、永久欠番までには至らなくても、そのチームにおいて名誉ある背番号であるとされる場合もある。
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[編集] 陸上競技
陸上競技では、一人の選手が複数の種目に参加することもあり、他の選手と重複しない一つの番号を種目に関係なく使う。所属団体や参加する大会の単位で採番されるため、チームごとに採番される「背番号」とは位置づけが異なる。球技の場合における、協会や連盟から発行される登録者番号に等しいものと考えることができる。
地区レベルの大会では、選手が所属する地区の陸上競技協会へ選手登録(登記)する際に申告した番号を使用する。競技会では、番号を書いた布地(ゼッケン、ただし日本陸連による正式名称は「ナンバーカード」であり、最近は後者で呼ぶことが普通)を服装の前面と背面に縫いつける。ただし、地域のシティマラソンや大規模な大会の場合は不織布でつくられたものを、その大会のみ使用することが多い。
また競技会によっては、トラック競技の順位判定における番号確認を容易にするため、同一組の選手に1から順に番号を割り当てた通称「腰ゼッケン」をパンツの右側に付ける(ただし、リレー競技の場合はアンカーのみが使用)。腰ゼッケンは大抵の場合、主催者によって用意される。
また、夏季オリンピックや世界陸上選手権、全国規模の大会や冠スポンサーが付いた大会などでは、主催者によって用意されたナンバーカード(冠スポンサー名・大会名が入る)を用いる。
番号は、登録者の数もあり3桁や4桁に及ぶ。また、他の球技のような永久欠番という概念は無く、特定の選手に暗黙で特定の番号が割り当てられるということも無い。
但し、通常の参加選手と、主催者による招待選手で、それぞれ異なる色のナンバーカードを用意する場合がある。この場合、招待選手は1から採番されることが多く、トップ選手や有名選手が1番を割り当てられることが多い。またナンバーカードは、例えば一般選手は白、招待選手は黄など、明確に識別できるようなカラーリングがされている。また、市民マラソンなどでは、招待選手に番号ではなく「氏名」が書かれたナンバーカードを着用させる場合もある。
[編集] 野球
背番号をおぼえておけば、簡単に選手をイメージできる。例えば51番といえば、シアトル・マリナーズのイチロー選手の背番号である。背番号は多くの選手やファンにとって単に識別の記号でなく、しばしば「もうひとつの顔」として思い入れの対象ともなっている。
野球の背番号には、以下のような規定、または習慣がある。
[編集] 高校野球
初めて日本の野球で背番号がつけられたのは、1931年(昭和6年)の第8回選抜高等学校野球大会である。同じ年の第一回日米野球でも背番号がつけられた。
高校野球の場合には、出場枠に応じて1番から始まる背番号(例えば18番まで)を使用する。概ね、正選手には、投手の1番から右翼手の9番まで守備番号に対応した番号が与えられる。
- 投手(ピッチャー):1番
- 捕手(キャッチャー):2番
- 一塁手(ファースト):3番
- 二塁手(セカンド):4番
- 三塁手(サード):5番
- 遊撃手(ショート):6番
- 左翼手(レフト):7番
- 中堅手(センター):8番
- 右翼手(ライト):9番
しかし、その背番号の示すポジション以外のポジションを守備することは、禁じられていない。
[編集] 大学野球
[編集] 日本のプロ野球
[編集] 歴史
- 1931年 第1回日米野球大会の第6・7戦において、日本チームが初めて背番号つきユニフォームを着用。
- 1935年 アメリカに遠征した日本チームが、漢数字の背番号入りユニフォームを着用。
- 1936年 東京巨人軍結成、日本プロ野球誕生。メジャーリーグに倣い、打順がほぼそのまま背番号になっていた。後に誕生した大阪タイガースは名前のイロハ順、阪急軍は契約順に背番号を決定した。
- 1944年 太平洋戦争の激化により、選手の背番号使用が禁じられる。
- 1947年 腸チフスで死去した黒沢俊夫の4、1944年に戦死した沢村栄治の背番号14が、日本球界初の永久欠番となる。
- 1950年代ころまで、各チームとも選手・スタッフの数は30人以下であり、監督が最大の背番号30を背負うチームが多かった。選手の数が増えるにつれ監督・コーチの背番号は大きくなり、現在は70~80番台が多く用いられている。
- 1965年 西鉄ライオンズが、背番号の上にローマ字で選手の名前を入れるユニフォームを採用。数年のうちに全球団へ広まった。
- 1975年 太平洋クラブライオンズが、ビジター用のみにユニフォームの前にも背中と同じ大きさの番号がついた「胸番号」つきユニフォームを採用。ただし不評であったため同年前期のみで廃止されている。
- 1983年 広島東洋カープの長嶋清幸が背番号0を初めて使用。戦後初期にブルペンキャッチャーなどでそれを使用したことがあるが、一軍登録選手としては史上初。2007年現在では、北海道日本ハムファイターズを除く11球団で背番号0が使用されている。
- 1988年 阪神タイガースのルパート・ジョーンズが背番号00の第1号となる。
- 1992年 ドミニカアカデミー出身の投手、ロビンソン・チェコ(広島東洋)が史上初めて3桁の背番号(106番)を使用。その後同じドミニカアカデミー出身の投手カルロス・リベラが1994年に109で2試合登板。これが現在まで一軍登録選手として最大の背番号となっている(一軍登録がない選手としては中山裕章(中日ドラゴンズ)の125が最大。支配下選手で一番最後に3桁の背番号をつけた選手はナタナエル・マテオで107番)。
- 1993年 日本ハムファイターズが、秘密兵器の意味を込めて二村忠美の背番号を007にしたいと申請したが、パシフィック・リーグによって却下される。この時より「背番号は00・0と99番以下」と見解が出された。
- 1997年 この年の日本シリーズにおいて、ヤクルトの各選手が欠場中の飯田哲也の背番号2を帽子やヘルメットに付けて戦い、日本一となった。「飯田はこの場にいなくとも共に戦っている」とチームの結束を示すものであり、この後ケガなどで欠場中の選手の背番号をナインが何らかの形で身につけることが各球団で流行した。
- 2005年 東北楽天ゴールデンイーグルスが10を永久欠番に、千葉ロッテマリーンズが26を準永久欠番に指定。いずれも「ファンのための欠番」で、それぞれファンをナインやベンチ入り選手(25人)に続く存在としたもの。
- 2006年 育成選手制度がスタートし、育成選手の背番号は100番以上を用いることが決められる(支配下選手登録時に2桁以下に変更する)。
- 2007年 中日の育成選手エンリケ・ラミレスが背番号222を使用、史上最大の背番号となる。
[編集] 背番号に託されたイメージ
名選手が特定の背番号を背負って活躍すると、それを受け継ぐ選手には自然に背番号だけでなくそのイメージまでも継承することが求められてくる。こうして各チームで、特定の番号が名選手によって受け継がれるなどの伝統が生じてきた。投手のエースナンバーとして18や21が用いられるなどはその典型で、日本の野球においてはこの番号を野手が背負うことはまずない。また中日で杉下茂→権藤博→星野仙一→小松辰雄→宣銅烈→川崎憲次郎→中田賢一と受け継がれた20など、チームにより特定の番号をエースナンバーとするケースも見られる。
- 1~10は主力野手の背番号となるケースが多い。特に1は人気と実力を兼ね備えた生え抜きの野手に与えられるのが慣例となっており、王貞治、高木守道、若松勉、秋山幸二、新庄剛志など歴代の名選手が1を背負って活躍している。現役選手には前田智徳、福留孝介、金城龍彦、柴原洋、森本稀哲などがいる。
- また、1は投手の守備番号であると同時に高校野球のエースナンバーでもあるため、投手の使用も比較的多い。かつては近鉄バファローズの鈴木啓示など、現役選手では、千葉ロッテの大嶺祐太が1である。
- 外国人選手が1をつけた例は少ない。近年では、阪神時代のトーマス・オマリー、西武時代のホセ・フェルナンデスの例がある。また、現在はオリックスのテリー・コリンズ監督が1を使っているが、2007年ではオリックスは唯一外国人が1を使用している球団になる。
- 投手が1以外の1桁の背番号をつけることは稀である。ただし、かつて阪神ではジーン・バッキー、マット・キーオ、藪恵壹の3人が4を、現役ではオリックス・バファローズのトム・デイビーが6を、東北楽天の佐藤宏志、中日の金剛弘樹、千葉ロッテの荻野忠寛が0を、中日のジョー・バレンタインが4をつけている。また、かつて投手では0は日本ハムの松浦宏明が使用していた事で有名であった。
- 捕手が背番号1をつけることは滅多にない。1だとプロテクターの一部で数字が隠れてしまうから、などの事情が推測される。また、3~7を捕手がつけることもまれである。
- 現在の監督で1桁の背番号なのは千葉ロッテのボビー・バレンタインの2と、オリックスのテリー・コリンズの1であるが、いずれもアメリカにて選手もしくは監督時につけていたものである。
- 背番号3もまたチームの顔となる選手がつける番号とされており、古くから大下弘、榎本喜八、千葉茂ら名選手の背中を飾ってきた。しかしこの番号の価値をさらに高めたのは長嶋茂雄であり、当時子供たちが3の下駄箱やロッカーを取り合うほどの人気を博した。2000年、長嶋が監督として背番号3を復活させたときは、いつ3のユニフォームを披露するかがキャンプの話題の焦点となったほどであった。その後も長池徳士、衣笠祥雄、清原和博(西武ライオンズ在籍時)ら歴史に残る名手が多く使用し、現在も立浪和義、松中信彦らスター選手の使用するところとなっている。長嶋と衣笠の3は永久欠番になったほどである。
- 11~21は主力投手の背番号となることが多く、野手がこれらの番号を背負うことは近年まれである。近年の使用例では、タフィ・ローズ(近鉄→巨人)の20、ナイジェル・ウィルソン(日本ハム→大阪近鉄)およびDTクローマー(日本ハム)の15、ロベルト・ペタジーニ(巨人)の13、現役ではホセ・フェルナンデス(東北楽天)の17、マット・ワトソン(千葉ロッテ)の19など、外国人選手に多く見られる。日本人では大島公一(東北楽天)の13(2005年)を最後に付けていない。
- 11は別所毅彦、村山実など実績ある投手が多く使用してきたが、近年斎藤雅樹、野茂英雄(近鉄在籍時)などの活躍によってさらに価値が高まり、18などと並ぶエースナンバーという認識ができつつある。現役選手では川上憲伸、ダルビッシュ有、川越英隆、一場靖弘ら各球団のエース級が使用している。
- 例外的かつ対照的に、12については野手がつける例も多い。特に捕手に多く、過去には和田博実、田中尊、袴田英利などが、現役では白濱裕太、高谷裕亮が12をつけている。内野手・外野手では過去には広瀬叔功、柴田勲、大熊忠義らが、現役では鈴木尚広、草野大輔がいる。
- 16は現在永久欠番となっている巨人以外の11球団全てで投手がつけているが、かつては川上哲治、岡田彰布、ラルフ・ブライアントといった名野手がつけていた例がある。
- 前述の通り、日本の野球において18を野手が使用する事は非常にまれである。日本のプロ野球では1987年のシクスト・レスカーノ(横浜大洋ホエールズ)を最後に、2007年現在に至るまで、18は野手に使用されていない。逆に、戦前及び昭和20年代はエースが18などという慣習は全くなく、18を野手が使用する事もあった。
- 日本の野球において18が投手、それもエースナンバーになった経緯は若林忠志、中尾碩志、野口二郎らプロ野球草創期のエースたちが使用していたことと、歌舞伎の「十八番」からの連想もあったといわれる(なお若林に関しては、阪神の前身である大阪タイガースは1936年に背番号をイロハ順に定めたが、この順序では若林は本来4をつける事になっていた。が、4は縁起が悪いため、空番号のうち最も若い18に変更するよう若林が申し出て了承されたのである。若林が18をつけて活躍したことで、後にエースナンバーが18と言われるようになった)。
- 22、27、39は捕手の背番号とされている。背番号22の捕手として水沼四郎、田淵幸一、田村藤夫、里崎智也など、背番号27の捕手では森昌彦、大矢明彦、伊東勤、古田敦也、谷繁元信など、背番号39の捕手では土井淳、中沢伸二、中村武志、田中雅彦、矢野輝弘などがいる。
- 近年、22については、佐々木主浩や高津臣吾らの影響で藤川球児など抑え投手がつける例が増えてきている。名選手の活躍により、番号にイメージが付与される好例といえる。
- 27は古くから横浜ベイスターズと千葉ロッテでは投手の番号とされ、現在も山北茂利、古谷拓哉が使用しているが、他球団でも門倉健、江尻慎太郎などのように投手が使用する例が少なくない。
- 28は江夏豊(阪神在籍時)、34は金田正一、47は工藤公康が活躍して以来、実力派左投手の背番号のイメージが定着した。28を背負う現役左投手として大隣憲司や広池浩司、金刃憲人、片山博視、34には山本昌や渡邉恒樹、47には帆足和幸や杉内俊哉、吉野誠、青木高広、菊地正法らがいる。
- 30は古くは監督の背番号とされていたが、近年では背番号30の監督は上田利治(阪急・オリックス、1974年~1978年、1981年~1990年)以来現れていない。30は江川卓の影響などから現在は投手の背番号として用いられる事が多く、2007年は9球団で投手が使用している。
- 日本人選手は縁起を担いで4、42、44、49などを避ける傾向があり、また42はジャッキー・ロビンソン、44はレジー・ジャクソンやハンク・アーロンなどの背番号であるため、これらの番号は外国人選手に好まれている。4にはチャーリー・マニエル、ロベルト・マルカーノ、マイク・ディアズ・レオ・ゴメスら、42にはアレックス・カブレラ、フリオ・ズレータ、マーク・クルーンなど、44にはランディ・バース、ブーマー・ウェルズ、タイロン・ウッズら、49にはウォーレン・クロマティなど歴代の名助っ人の名が並ぶ。なお、近年ではこれらの番号を使用する日本人も増えてきている。
- 70〜80番台は監督やコーチ、打撃投手やブルペン捕手などのスタッフがつけるケースがほとんどであり(現役選手では田上秀則・定岡卓摩・三澤興一の70とディッキー・ゴンザレスの78)70番台や80番台を現役選手がつける場合は新人選手が多く、過去には秋山幸二が71、平野謙が81を新人時代に使用していたなどの例が挙げられる。また、門田博光や広澤克実のように主力選手がつけることもまれにあるが、長期に渡ってこうした番号で活躍した選手はほとんどいない。
- 90番台(99は後述)はコーチやスタッフが主につけるが、選手がつける場合もある。主に永久欠番が多い読売ジャイアンツで支配下選手の背番号となっている。その他では福岡ソフトバンクホークス、広島東洋で使われており、福岡ソフトバンクは主に育成選手から支配下登録された選手に、広島東洋はドミニカ共和国に設立しているアカデミー出身選手(支配下登録をしていない練習生を含む)に充てている。
- 現役選手として99を最初に使用したのは1976年の鳥坂九十九(近鉄)であり、もちろん自分の名前にちなんだものである。その後現在では、99は一部の球団を除き、現役選手が使用することが多くなっている。現在は田中良平(千葉ロッテ)、狩野恵輔(阪神)、横山道哉(横浜)、吉川勝成(オリックス)、中村紀洋(中日)が使用している。また、セントルイス・カージナルスの田口壮も99を使用している。かつては高橋智(ヤクルト)、中込伸(阪神)、トロイ・ニール(オリックス)、井上一樹(中日、現在は9)、張誌家(西武)らも使用していた。なお、北海道日本ハムや福岡ソフトバンクではブルペン捕手が99を使用している。
- 0、00は広島東洋に所属していた長嶋清幸が初めて0を使用したのを皮切りに、80年代以降になって使われるようになった番号だが、現在では完全に定着し、ほとんどの球団でこれらの番号が使用されるようになっている。ただし、西武では00は2004年にスコット・マクレーンが使用したのみであり、0の使用開始も1996年の羽生田忠克が初めてで、(楽天除き近鉄含む)12球団で最も遅かった。
- 00が一般に使用されているのに対し、01~09のような00以外で10の位が0番台の2桁の背番号はほとんど使用されていない。現在、西武ライオンズの打撃投手のみが、01や02といった10の位が0番台の2桁の背番号を使用している。
- 1993年に当時阪神に在籍した松永浩美は、開幕当初から故障が多発したのは自分がつけていた背番号2のせいだとして、シーズン途中に自ら背番号を02に変更することを申し出て、了承された。これは2007年現在、現役選手が00以外で10の位が0番台の2桁の背番号を着けた唯一の例となっている。
- 3桁の背番号は、現在は育成選手及びスタッフに(巨人では藤田浩雅などコーチの一部にも)充てられているが、100番台がほとんどである。200番台は、現在中日の育成選手の背番号にしか使われていない。また、300番台以降はまだ使われていない。
- 3桁の背番号はかつて広島東洋に在籍していたロビンソン・チェコが106を使用していたが、1993年にパ・リーグに於いて、「現役選手の背番号は00・0と99番以下」という見解が出された(この時の経緯の詳細については前述)。 また、2006年からは育成選手制度がスタートし、育成選手の背番号は100番以上を用い、支配下登録時には99番以下に変更されることが決められた。これにより現役選手が3桁の背番号で選手登録される可能性は完全に消滅した。
[編集] 背番号の変更
- 一般に日本球界では若い番号がレギュラーの証として認識される傾向があり、一軍定着に従って背番号を若い番号に変更するケースが多い。西武における秋山幸二の71→24→1などが典型例である。また1983年、巨人で50番の駒田徳広、54番の槙原寛己、55番の吉村禎章が揃って台頭し「50番トリオ」と呼ばれたが、数年後にはそれぞれ「10」「17」「7」へと「出世」している。
- 若い背番号を大きい番号へ変更するケースは、成績不振から若手・移籍選手などに背番号を「奪われる」ケースがほとんどであるが、不祥事やトレード拒否などに対する懲罰的な意味合いのケースもあると言われる。逆に言えば、背番号を取り上げられることが罰となりうるほど、選手にとって背番号は重い意味を持つともいえる。
- あえて心機一転の意味を込め、大きな番号へ変えるケースもある。元中日の谷沢健一が1976年に14番を41(「良い」に引っかけて)に変更し、首位打者を獲得したケースなどが成功例として知られる。
- 好きな選手、憧れの選手の番号へ変更するケースもある。山北茂利(横浜)が中日時代と千葉ロッテ時代、ランディ・ジョンソンに憧れて51へ、帆足和幸(西武)が工藤公康にちなんで34を47に変更したケースなどなどがある。
- 門田博光は背番号変更の際、大きな背番号を選んでいる。27→44→60(南海)→78(オリックス)→53(福岡ダイエー)の順であるが、大きな背番号が控え選手の象徴とみなされる傾向にある日本球界において、このような主力級選手の背番号変更は異例中の異例である。
- 原点に返るという意味で、若手時代に使用していた背番号に再変更する例もある。後述の新庄剛志のケースの他、彦野利勝の57→8→57、池山隆寛の36→1→36、鈴木尚典の51→7→51、佐伯貴弘の26→10→26などがある。
- 谷繁元信は、大洋~横浜時代に1を、中日移籍後は7を一時期使用していたが、いずれも後になって違う番号に変更されている(横浜は8、中日は27)。理由はいずれも、「捕手のイメージに合わない」という当時の監督の意見による。
- 森野将彦は過去に5回背番号を変更しているが、全て他人の都合で振り回されたものである。詳しくは本人の頁を参照。
- 現在まで最大の背番号変更幅は、育成選手から支配下選手になる場合を除けば、中込伸(阪神)の99→1である。チーム移籍または育成選手から支配下選手に登録された場合では、中村紀洋の8(オリックス)→205→99(中日)が最大の背番号変更幅である。
- 同一チームに所属したまま最も数多く背番号を変更したのは落合英二(中日)で、19→12→70→71→25→26と6つの番号を背負っている。
- 逆に同一チームで最も長く同じ背番号を使用したのは巨人の王貞治で、現役・助監督・監督として背番号1を30年間背負い続けた(1959年~1988年)。
- シーズン中に背番号を変更した例としては、2006年9月27日の北海道日本ハムのシーズン最終戦で、引退宣言をしていた新庄剛志が本来の1から阪神在籍時に付けた最初の背番号である63に、同時に本来63をつけていた渡部龍一も68に変更になっている。両者とも翌日、元の番号に戻された。
- 選手によっては特定の背番号に思い入れを持ったり、縁起を担いで他の選手と番号を交換してもらうなどのケースも多い。例えば日本ハム在籍時の武田一浩は、麻雀の1-4-7の筋が好きだという理由で五十嵐信一と背番号を交換し、15から4に変更している。
- 最近では出世しても背番号を変更せず、大きな背番号を自分の番号として「育てる」選手が増えている。メジャーリーグでも同じ番号を使い続けるイチローの51、松井秀喜の55などが有名だが、こうしたケースの嚆矢は金田正一の34であろう。工藤公康の47、川崎宗則の52、五十嵐亮太や赤星憲広の53、石井弘寿の61、斉藤和巳の66など、こうした傾向には近年さらに拍車がかかっている。
[編集] メジャーリーグ
初めて正式に背番号を採用したのは、1929年のニューヨーク・ヤンキースである。当時の背番号は一番打者が1、二番打者が2という風に、8まで打順通りに割りふられていた。そして、その頃は捕手が八番を打つことが多かったので、8が捕手の番号となり、9は控え捕手に与えられた。そして投手は、11から21までの番号をつけることになった。
背番号が一般的になった1932年当時は、「1から9はレギュラーの打順、10から19はベンチ入り、20以上は投手」あるいは「1から9はレギュラー、10から19は投手、20以上はベンチ」というシステムがあった。
しかし、その後多くのチームが背番号を採用するようになると、打順通りに背番号をつけるという習慣はなくなっていき、今では投手は二桁の背番号をつけるという慣習だけが残っている(投手が一桁の背番号をつけることは、あまり好ましく思われない。ただし、トロント・ブルージェイズのジョシュ・タワーズ(背番号7)のような例もまれにある)。日本のような18がエースナンバーといった習慣もなく、それどころか10番台は今日では野手の背番号となっている(10番台の投手が全くいないわけではないが野手と比べると少ない)。
「13日の金曜日」のイメージから13番は好まれないと思われがちだが意外にも13を好んで着ける選手は多い。13という数字は縁起が悪いというよりも強大な力を持つ数字という考え方をするようである。また、シンシナティ・レッズ黄金時代のいわゆるビッグ・レッド・マシーンの一角を担った、史上屈指の遊撃手ともいわれる、ベネズエラ人メジャーリーガーデーブ・コンセプシオンが背番号13を背負っていたこともあって特に中南米の選手には13を好んで着用する例が多い。
春のオープン戦にAAA級などのマイナーリーグの選手がメジャーリーガーと一緒に試合に参加する際には、50番台、60番台などの使用されない背番号が与えられる(マイナーに戻るとそのチームで着用していたメジャーと違う背番号に戻す)。 それより上の番号は打撃投手、ブルペン捕手、用具スタッフ、スプリングトレーニング・コンディショニングコーチ、通訳などのスタッフが着用する。
メジャーリーグでは、普段は0から99までが使用される。三桁は日本と違ってまだ使用されたことがなく、田口壮などの「99」が史上最大の背番号である。整数以外の番号としては、1951年に身長109cm・体重30キロの選手エディー・ゲーデル(Eddie Gaedel)が背番号1/8(8分の1)を着用した(ただし1試合で出場禁止)。0と00は日本ほどの人気(または必要性)はないが、オマール・オリバレス(Omar Olivares)が自分の頭文字O.O.にちなんで00を選んだことがある。
偉大な選手の背番号を永久欠番とする慣習がある。その数が最も多いのもやはり初めて背番号を採用したニューヨーク・ヤンキースで、現在14の背番号が永久欠番となっている。1997年には、黒人選手第1号ジャッキー・ロビンソンの背番号「42」が全球団共通の永久欠番となった(ただし、永久欠番決定以前に背番号42をつけていた選手は特例でつけ続けることが認められており、ヤンキースのマリアノ・リベラがメジャーで最後の背番号42の選手となる)。球団によっては監督やコーチ、オーナーの他、ファンまでも永久欠番に指定している場合もある。クリーブランド・インディアンスは455を永久欠番にしているが、これは1995年6月12日から2001年4月4日まで455試合連続で入場券売り切れの記録を作ったことにちなむ。
[編集] ソフトボール
ソフトボールでは、背番号(ユニフォームナンバー;UN)は1番から99番までを使用しなければならない。ただし、監督は30番、コーチは31・32番、主将は10番と定められている。
また、中学・高校での公式戦の場合、コーチ番号のうち、31番は教員、32番は外部指導者がつけるように定められているケースもある。
[編集] サッカー
[編集] 始まり
サッカーの母国イングランドでユニフォームに背番号がつけられるようになったのは、1920年代になってからである。1928年のアーセナル対チェルシーのリーグ戦で、初めて使用された。選手は1から11までの背番号を与えられた。そしてそれが義務化されたのは、1939年のことであった。初めはどの数がどのポジションを表すかという規則はなかったが、時間が経って様々なフォーメーションが現れるにつれ、ほとんどのチームにその傾向が認められるようになった。1965年にゲーム中の交代が認められるようになると、交代要員は、通常、12番を着けた。2人目の交代が許された時、そのプレーヤーは14番を着けた。もし彼が迷信深かったなら、無理に13番を着けさせられることはなかった。
19世紀末から1920年代半ばまで世界のサッカー界を席巻していたのは、(1-)2-3-5のピラミッド・システムだった。後ろから、ゴールキーパー (GK) 1人、フルバック (FB) 2人、ハーフバック (HB) 3人、フォワード (FW) 5人が並ぶフォーメーションである。そのフォーメーションに対し、後ろから順番に番号が与えられた。
まず最後尾のGKは1番。続いてFB。右から順に番号を割り振り、ライトバック2番、レフトバック3番。HBも同様に、右からライトハーフ4番、センターハーフ5番、レフトハーフ6番。FWはライトウィング7番、インサイドライト8番、センターフォワード9番、インサイドレフト10番、レフトウィング11番となった。
11 10 9 8 7
6 5 4
3 2
1
この背番号がスタンダードとなり、世界に広まっていった。
しかし、その後のそれぞれの国でのフォーメーションの変化にともない、各背番号が指すポジションは国ごとに変化していった。
ただし過去には、ワールドカップでのアルゼンチン代表やイタリア代表のように、背番号を名前のアルファベット順に割り振った国もあった。
[編集] イングランド
イングランドでは、1930年代から3-2-2-3のWMシステムが一般的になる。それにともない、HBから5番のセンターハーフがFBの真ん中に下がる。そしてFWから8番と10番が下がってHBに加わった。
11 9 7
10 8
6 4
3 5 2
1
このフォーメーションと背番号がヨーロッパ全体に広まった。
1960年代には、6番がディフェンスラインに下がって4バックを形成する4-3-3へと変化する。
11 9 7
10 8
4
3 6 5 2
1
その後、ヨーロッパの中ではいち早く4-4-2システムに移行。現在のイングランドで4-4-2と言えば、GK1、DFは左から3 6 5 2、MFは左ハーフ11番、中央に4番と8番、右ハーフ7番が並ぶ。そして、FWはセンターフォワードの9番と10番がコンビを組むこととなる。
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11 8 4 7
3 6 5 2
1
4番と8番では、8番の方が攻撃的。シャドーストライカーをこなすタイプや、他国なら10番を付けるタイプが務める。他国とは異なり、イングランドでは10番と言えばチームのエースストライカーを指す。
[編集] 南米
南米では、フォーメーションはヨーロッパとは異なる進化を遂げる。3バックを経ずに、いきなり4-2-4システムという4バックのフォーメーションを採用。
ブラジルでは、HBの両サイド、4番と6番がFBの2人を挟むように下がり、FWラインから8番がHBに加わった。その後、4番が内側の2番と入れ替わり、現在の4バックの布陣となった。左から並べると、6 3 4 2となる。
11 10 9 7
5 8
6 3 4 2
1
一方、アルゼンチンではHBの4、6番は、FBと交互に並ぶように後ろに下がった。左から見ると3 6 2 4という風に並ぶ。
11 10 9 7
5 8
3 6 2 4
1
1958年にはブラジルがこのフォーメーションでワールドカップを制覇。この時、ペレが10番をつけていたことが、チームの中心=10番というイメージを世界中に広めることに一役買った。その後、ブラジルは4-3-3を採用して1962年のワールドカップも制し、世界中の国がそれを採用することになった。
11 9 7
10 8
5
6 3 4 2
1
現在のブラジルでは、4-4-2の場合、以下のようになることが多い。GK 1、DFは左から 6 3 4 2、ボランチ 5 8、攻撃的MF 7 10、FW 9 11。もともと左右のウイングだった7と11は、FWとMFの位置を入れ替わることもある。
11 9
10 7
5 8
6 3 4 2
1
[編集] その他の国
オランダの場合、伝統的なアヤックス風の3-4-3フォーメーションでは、GK 1、DFは左から5 3 2、MFはダイヤモンド型の下の頂点が4、左が8、右が6、上の頂点が10、FWは左から11 9 7となる。
3-4-3システム
9
11 7
10
8 6
4
5 2
3
1
スペインの場合、オランダ人のクライフが監督を務めたバルセロナが若干異なる背番号のつけ方をする。
スペイン
4-2-3-1
9
11 10 7
6 8
3 2
5 4
1
バルセロナ
クライフ時代
3-4-3システム
9
11 7
6
10 8
4
2 5
3
1
ファンハール時代
2-3-2-3
9
7 11
8 10
4
3 2
6 5
1
3-4-1-2
8 9
10
7 11
4 6
2 3 5
1
フランス
4-4-2システム
11 9
10 7
6 8
3 2
5 4
1
ドイツ
3-5-2
11 9
10 7
3 8 2
6 4
5
1
[編集] 現在
現在では背番号は固定制となり(以前は、試合ごとにスターティング・メンバーに1番から11番までが与えられていた)、選手は好きな番号を年間通してつけられるようになった。特に目立つことが好きな選手には、昔は誰もつけていなかった大きな番号も選ばれるようになった。選手の特定は容易になったが、その反面、ポジションと背番号との同一性はあまり感じられなくなってしまった。
[編集] 日本での一般的イメージ
Jリーグ以前の日本リーグやジャパンサッカーリーグの時代は、選手ごとに番号がつけられていた。 Jリーグ発足後は試合ごとに背番号が与えられていたが、1997年からは固定背番号制がとられるようになった(詳しくは、日本プロサッカーリーグ#試合で着用するユニフォームの項参照)。
特に決まりはないが、日本では以下のように印象付けられることが多い。
背番号 | 印象 |
---|---|
1 | 正ゴールキーパー |
2 | 右サイドバック |
3 | 左サイドバック |
4 | センターバック |
5 | センターバック |
6 | 守備的ミッドフィールダー |
7 | 右ウイング、または右サイドのミッドフィールダー、チャンスメーカー |
8 | 攻撃的ミッドフィールダー |
9 | センターフォワード、チームのエースストライカー |
10 | チームの司令塔(攻撃を統率する) |
11 | 左ウイング、またはセカンドストライカー |
12 | サポーターナンバーとされ実質欠番扱いのクラブもある |
13-16 | GK以外の控え選手 |
また背番号は、ある特定の選手と結びついて記憶されていることが多い(例:ブラジルの10番→ペレ。ドイツの13番→ゲルト・ミュラー。オランダの14番→ヨハン・クライフ。横浜F・マリノスの10番→木村和司、中村俊輔。横浜F・マリノス並びに日本代表の4番→井原正巳。浦和レッズの9番→福田正博。日本代表の11番→三浦知良。12番以降では、16番がスーパーサブ(日本代表では、1993年当時の中山雅史、現在では本山雅志、大黒将志など)、18番が第2のストライカー(サモラーノ、クリンスマンなど。“1+8=9”、9の2倍に因む)とされることがある。また、キャプテン翼における大空翼の10番、日向小次郎の9番も影響を与えてると考えられる。
[編集] ラグビー
ラグビーでは、一般的には、正選手には1番から15番までが与えられ、その背番号がポジションを示す場合が多い。
現在ではフォワードからフルバックへと、1~15の順にナンバリングされているが、背番号がつけられるようになった当初は、1がフルバック、2~5がスリークォーターバック、6と7がハーフバック、8~15がフォワードというように、今とは逆に番号がつけられていた。
背番号 | ポジション | 略号 |
---|---|---|
1 | 左プロップ | PR |
2 | フッカー | HO |
3 | 右プロップ | PR |
4 | ロック | LO |
5 | ロック | LO |
6 | フランカー | FL |
7 | フランカー | FL |
8 | NO.8 | NO.8 |
9 | スクラムハーフ | SH |
10 | スタンドオフ | SO |
11 | ウイング | WTB |
12 | センター | CTB |
13 | センター | CTB |
14 | ウイング | WTB |
15 | フルバック | FB |
一方、ラグビーリーグでは、今でもフルバックの方から番号がつけられている。フルバックが1、バックスが2~7、そしてフォワードが8~13までである。
背番号 | ポジション | 略号 |
---|---|---|
1 | フルバック | FB |
2 | 右ウイング | W |
3 | センター | C |
4 | センター | C |
5 | 左ウイング | W |
6 | スタンドオフ | SO |
7 | スクラムハーフ | SH |
8 | 左プロップ | PR |
9 | フッカー | HO |
10 | 右プロップ | PR |
11 | フランカー | FL |
12 | フランカー | FL |
13 | ロック | LO |
[編集] バスケットボール
バスケットボールでは、各競技団体によって規定が異なる。
FIBAの国際ルールでは、1961年から、審判の3秒ルールに対するシグナルとの混同をさけるため、使用できる背番号は4番から15番までとされた(登録人数が12人のため)。
NBAでは、すべての番号が使用可能である。 ただし、56以上の番号を使用するにはリーグの許可が必要であり、また同じチーム内に00番と0番をつける選手がいてはならないという条件がある。
アメリカの大学バスケットのNCAAでは、00, 0, 1, 2, 3, 4, 5, 10, 11, 12, 13, 14, 15, 20, 21, 22, 23, 24, 25, 30, 31, 32, 33, 34, 35, 40, 41, 42, 43, 44, 45, 50, 51, 52, 53, 54, 55 が使用可能な番号である。(6以上の数字が使えないため、0~5を組み合わせて使用する)
bjリーグでは、2桁の番号であればどの番号でも使用可能である。また、1桁の番号は0を前に付けることも可能だが、0を前に付けない番号との併用はできない。(例:00番と0番は併用できない)
バスケットボールでも偉大な選手の背番号を永久欠番とする慣習がある。NBAで最も数が多いのはリーグ最多の優勝を誇るボストン・セルティックスで、現在21の背番号が永久欠番となっている。「18」はジム・ロストカフも着用していたが、永久欠番を辞退した。2003年には、マイケル・ジョーダンの背番号「23」がマイアミ・ヒートでも永久欠番となった。球団によっては監督やコーチ、オーナー、ファンの他、コーチに纏わる記録までも永久欠番に指定している場合もある。また、現役中に事故や病気で亡くなった選手の番号が永久欠番となる場合もある。
背番号がある特定の選手と結びついて記憶されていることも多く、カリーム・アブドゥル=ジャバーの活躍以後は33番と34番を付ける選手が増えた。また、尊敬する選手と同じ番号を付ける選手もいる。
背番号 | アイドル選手 | 着用選手 |
---|---|---|
1 | アンファニー・ハーダウェイ | トレーシー・マグレディ |
7 | ジャーメイン・オニール | アル・ジェファーソン |
21 | マリック・シーリー | ケビン・ガーネット |
23 | マイケル・ジョーダン | レブロン・ジェームズなど |
31 | レジー・ミラー | ショーン・マリオン |
32 | マジック・ジョンソン | ジェイソン・キッド、シャキール・オニールなど |
91 | デニス・ロッドマン | ロン・アーテスト |
一般的には、ガードの選手は小さい数字を、パワーフォワードやセンターなどフロントコートの選手は大きい数字を選択すると言われている。
[編集] アメリカンフットボール
アメリカンフットボールでユニフォームに背番号が義務付けられたのは1915年。番号は1~99までの間なら自由につけてよいが、オフェンスのみ以下の制限がある。
- バックス(クォーターバック、フルバック、ワイドレシーバーなど)は1~49
- ライン(センター・ガード・タックル)は50~79
- エンド(タイトエンド・スプリットエンド)は80~99
NFLとそれ以外では、番号に関する制限が異なる。
NFLでは1973年から、背番号に関するルールが導入され、番号の割り当ては厳格なシステムの下で、制限されるようになった。
NCAAルールで行われるNCAAカレッジフットボールなどのアマチュアレベルでは、パス・レシーバーの有資格(1~49、80~99)か無資格(50~79)かの制限を除いては、強制的なルールはない。
[編集] NFLの背番号
現在のNFLでは、ポジションごとの背番号が以下のように定められている。
背番号 | 攻撃側 | 守備側 |
---|---|---|
0,00 | なし | なし |
1~9 | クオーターバック、キッカー、パンター | なし |
10~19 | クオーターバック、キッカー、パンター、ワイドレシーバー(80~89が埋まっていれば) | なし |
20~49 | ランニングバック | ディフェンシブ・バック(コーナー・バック、セーフティ) |
50~59 | オフェンシブライン(センター) | ラインバッカー |
60~79 | オフェンシブライン(タックル、ガード、および50~59が余っていないセンター) | ディフェンシブライン |
80~89 | ワイドレシーバー、タイトエンド | なし |
90~99 | なし | ディフェンシブライン(60~79が埋まっていれば)、ラインバッカー(50~59が埋まっていれば) |
[編集] ワイドレシーバーの背番号
もともと、ワイドレシーバー (WR) の背番号といえば80~88番だった。ジェリー・ライス、クリス・カーター、ティム・ブラウン、マービン・ハリソンといった一流のプレーヤーたちは皆、80~88番をつけている。しかし、最近は、11番や17番、18番といった若い背番号をつける選手もいるようである。
1973年、NFLはポジションごとに背番号をつけるシステムを導入、WRは80番から89番までの80番台を指定された。23年後の1996年、80番台に空きがなくなったジェッツに入団したルーキー、キーショーン・ジョンソンは、『人と同じ背番号は嫌』ということで19番を求め、彼の主張は認められた。そして2004年、NFLはルーキーや移籍した選手は11番から19番までを選んでも良いと正式に認めた。
しかし、実は以前にも、ジーン・ワシントン(18番)、ランス・オールワース(19番)、ハロルド・カーマイケル(17番)、ドン・メイナード(13番)、クリフ・ブランチ(21番)、フレッド・ビレトニコフ(25番)、ケン・バロー(00番)など、80番台以外をつけていたWRは存在していた。これらは、背番号がルール化される以前からこの番号をつけていたため、それを継続して着用したものであり、ほかにも、ジム・オットー(C・00番)、ローマン・ゲイブリエル(QB・21番)、ブラッド・ヴァン・ペルト(LB・10番)等がいた。
[編集] ランニングバックの背番号
2006年5月、ニューオーリンズ・セインツにドラフトされたランニングバック、レジー・ブッシュは、自分が「5番」の背番号を着用することを認めるか、背番号規定を変更するよう求めたが、NFL側は、「一人の選手にだけ例外を認めることはできない」として、これを却下した。