ロン・アーテスト
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ロン・アーテスト(本名 Ronald William Artest, Jr.、1979年11月13日 - )はアメリカ合衆国のバスケットボール選手で、守備能力が非常に高いスモールフォワード。北米プロバスケットボールリーグNBAのサクラメント・キングスに所属している。ニューヨークのロングアイランドシティーにあるクィーンズブリッジというプロジェクトで生まれ育った。
201cm、118kg。ディフェンス面ではポイントガードからパワーフォワードまで相手の要となる選手を抑える。
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[編集] キャリア序盤
アーテストはセント・ジョンズ大学でプレーした後、シカゴ・ブルズに1順目16位で指名される。このとき、アーテストは泣いたが、TNTに「これは純粋にうれしくて泣いているんだ。」と語っている。2002年にブラッド・ミラーとロン・マーサーとともにインディアナ・ペイサーズに移籍した。
[編集] パレスでの騒乱
2004-2005シーズンの2004年11月19日、デトロイト・ピストンズのホームコート「パレス・オブ・オーバーンヒルズ」で起こった事件。NBA選手や観客数人による一連の口論や騒動のことをさす。NBAの歴史の中でもっとも不名誉な事件のひとつといわれている。
事の発端はアーテストがピストンズのベン・ウォレスに対してファールをしたことが始まり。それに対してベン・ウォレスはアーテストを少し押した。ベン・ウォレスの真似をしながら、アーテストはコートサイドのテーブルの上に寝た後、試合の解説者の真似をした。そんなアーテストに向かってベン・ウォレスはタオルを投げた。その直後、地元のピストンズファンのジョン・グリーン(当時ミシガン州ウェスト・ブルームフィールド在住)がアーテストに向かってビールの入ったコップを投げて、それがアーテストに当たった。それに反応したアーテストは観客席に飛び込み、(コップを投げたと彼が思った)観客の一人に向かって怒鳴った。実際には別人だった。そこにペイサーズの選手数人が仲裁に飛び込んで、アーテストはコート上に戻った。しかしそこでアーテストは観客のA.J.シャックルフォード(侮蔑的な言葉を口にしたピストンズファン)を殴る。ゲームは終了約1分前だったが試合はその時点で中止になった。
2004年11月21日、NBAはアーテストのシーズン残り試合(73試合)を出場停止にした。これはドラッグ、賭博が原因ではない処分としては、NBA歴史の中で最長の出場停止処分期間だった。そのほか、4人のピストンズの選手、4人のペイサーズの選手にそれぞれ最長30試合の出場停止処分が科された。その4人のペイサーズの選手には罰金やコミュニティ・サービスも科された。また、数人の観客にパレス・オブ・オーバーンヒルズに生涯入場禁止処分が科された。アーテストはこの出場停止によりサラリーのうち約500万ドルを失ったといわれている。
[編集] 事件後のアーテスト(2005-2006)
出場停止期間が明け、新たなシーズンが始まってすぐに、所属するペイサーズにトレードを要求した。球団幹部のラリー・バードやオールスター選手のジャーメイン・オニールは「裏切られた気分だ。」というコメントを残している。
[編集] キングス(2005-2006)
2005-2006シーズンの途中でペイサーズからサクラメント・キングスに、ぺジャ・ストヤコビッチとのトレードで移籍した。2000年以来プレーオフの常連であったキングスはけが人が続出し、プレーオフ出場が危ぶまれていたが、アーテストが来てからキングスは守備を中心に勝ち星を増やして、なんとかプレーオフに出場した。Foxスポーツは「アーテストがキングスをプレーオフ出場レースに復活させた。」と表現した。2006年のプレーオフでは1回戦でサンアントニオ・スパーズに負けている。
[編集] アーテストが起こした騒動
- ブルズに在籍していたとき、従業員に対する割引が目的でサーキット・シティーという大手の会社に仕事を申し込んだため批判されたことがある。
- ペイサーズ在籍時にはバスローブで練習に参加したことがある。
- 2001年夏、練習試合でマイケル・ジョーダンの肋骨を折った。
- 2003年にはマディソン・スクエア・ガーデンでテレビカメラを壊したのが原因で3試合の出場停止処分が科された。
- 2003年、マイアミ・ヒートのパット・ライリー監督と口論をして4ゲームの出場停止処分が科された。
- 2004-2005シーズン、ペイサーズ在籍時にR&BのCDの製作が忙しいという理由で当時の監督のリック・カーライルに1ヶ月の休養を要求した。そのため2ゲームの出場停止処分が科された。
- 2006年、プレーオフ1回戦の第2試合には出場停止でプレーできなかった。1試合目でエマニュエル・ジノビリの顔にひじを当てたため。
- 2007年、妻に対する家庭内暴力により逮捕され、GMより出場停止が言い渡される。
[編集] コート外での評判
非常に落ち着いた、性格の良い人だと家族は語っている。年下の兄弟のアイザイアとダニエルは「彼は父親のように面倒を見てくれる。」父親のロンは「息子がNBAのシーズン中の旅のせいで思うように彼の子供たちと過ごせないことを知っている。彼は良い父親だ。」と言っている。母親のサラは「彼は犯罪者でもなければギャングでもない。息子たちはプロジェクトに住んでいた間、(大きな)喧嘩なんてしなかった。」「あの(パレスでの事件のあった)年の最初のころ、「僕のことを好きじゃないファンがいるとき、とてもつらいよ。コインを投げてきたりするんだ。」と言っていたわ。彼は悪い人間じゃない。あの騒動でも、彼は反応しただけなのよ。」と、アーテストの73試合の出場停止期間中に語っている。IDSnews
[編集] トリビア
- ペイサーズで背番号が23番をつけていた時期がある。これはマイケル・ジョーダンへの尊敬を示したもの。
- 2004-2005シーズンには91番をつけていた。これはデニス・ロドマンへの尊敬を示したもの。
- デトロイト・ピストンズの本拠地パレス・オブ・オーバーンヒルズでおこした「パレスでの騒乱(malice at the Palace)」の後は15番をつけた。
- キングス在籍時には93番をつけた。
- 2006年夏時点で、NBA選手の中でただ一人「k1x」(ドイツのブランド)を支持している。
- アーテストの父親はニューヨークのマンハッタンにある「Patis」という店の用心棒。
- アーテストは9人兄弟の4番目に生まれた。
- 瞑想を取り入れることを考えたことはあるかとインタビューで聞かれ、アーテストは「そんなことを考えたことは無い。かつて医者が俺に瞑想をするように提案をしてきたことがある。「(瞑想の仕方などについて書かれた文書を)もらっておきます。」と言ったが、すぐにゴミ箱に捨てたよ。」と語っている。
- オールスターに出れる実力がありながらほとんど出ていないことについて「俺をオールスターゲームに出さないほうが良い。俺ならシュートしなくても、あんなやさしいゲームは支配できる。ファールもするし、フレグラント・ファールもするだろう。他のオールスターのメンバーたちは「あいつはいったい何をしているんだ」と言うだろうな。」
- 野球ではニューヨーク・メッツファンである。
- 激しいプレイスタイルから「TRU WARIOR」(トゥルー・ウォリアー)の異名を持っている。
- 2006年に"My World"と名づけられたラップアルバムを発表するものの、第1週の売り上げは343枚に終わり、商業的には大失敗に終わった。
[編集] 外部リンク
- Ron Artest official page
- Ron Artest @ NBA.com
- Ron Artest stats @ basketballreference.com