ヴェコスラフ・リュブリッチ
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ヴェコスラフ・リュブリッチ(Vjekoslav Luburić;1914年3月6日 - 1969年4月20日)は、クロアチアの軍人。ウスタシャ民兵大佐。セルビア人、ユダヤ人の大量虐殺の責任者の1人であり、マックスとも呼ばれた。
フマッチ出身。ウスタシャ民兵の副司令官。後にウスタシャ保安庁(Ustaska Nadzorna Sluzba;略称UNS)第3部を率い、クロアチア国内の強制収容所を監督した。
1944年、クロアチア独立国軍(ドモブラン)とウスタシャ民兵の統合後、軍に移る。アンテ・パベリッチの政敵であったA.ヴィキッチとM.ロルコヴィッチの除去を組織。後に保安旅団長に任命され、1945年5月6日、クロアチア軍(Hrvatske Oruzane Snage)司令官となった。
戦後、クロアチア人の将官の大部分はオーストリアに亡命したが、リュブリッチはクロアチアに留まり、ウスタシャのパルチザン部隊を率いた。1945年11月にオーストリア、その後イタリアとフランスを経由してスペインに亡命した。1955年までパベリッチの側近。その後、ウスタシャ移民組織である「クロアチア人民抵抗」を率いる。ユーゴスラビアの特務機関により暗殺。