ヴロツワフ
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ヴロツワフ ( Wrocław ) | |||
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位置 | |||
情報 | |||
県: | ドルヌィ・シロンスク県 | ||
緯度: | 北緯 51°07' | ||
経度: | 東経 17°02' | ||
標高: | 111m | ||
面積: | 292.9 km² | ||
人口 - 合計 - 人口密度 |
約633,000 人 2181 人/km² |
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郵便番号: | 50-041 ~ 54-612 | ||
市外局番: | 071 | ||
市長: | ラファウ・ドゥトキェヴィチ (Rafał Dutkiewicz) | ||
公式サイト: | 市公式ウェブサイト |
ヴロツワフ( Wrocław! ? ポーランド語、ドイツ語:ブレスラウ Breslau、ハンガリー語:ボロスロー Boroszló )は、ポーランド西部にある大都市で、ドルヌィ・シロンスク県の県都。歴史的にシロンスク地方の中心都市で、ポーランドの中でも最も古い都市のひとつである。市内にはオドラ川とその支流が流れ、200以上の橋が架かっている。
目次 |
[編集] 歴史
伝説によれば、ヴロツワフはボヘミア公ブラチスラフ1世(在位915年 - 921年)によって建設された。990年頃、他のシロンスク地方の都市とともにポーランド王ミェシュコ1世やボレスワフ1世(勇敢王)時代のピャスト朝の支配下に入った。当初、開拓の中心地はオドラ川の中洲にあった。
西暦1000年のグニェズノ会談において、神聖ローマ皇帝オットー3世とボレスワフ勇敢王がローマ・カトリック教区の設置を決めた。その後まもなくヴロツワフに最初の司教座が置かれた。10世紀にはすでに都市は建設されていたが、公式には西暦1000年がヴロツワフ建設の年として見なされ、2000年には都市建設1000年が祝われた。
13世紀にはモンゴル帝国の侵略を受け、14世紀にはボヘミア王国に支配された。その後ハプスブルク帝国の一部となり、プロイセン王国領を経て、第二次大戦後までドイツの一部となっていた。
[編集] 地理
ポーランドの首都ワルシャワから西南へ約350キロ、シロンスク地方の中心地。
[編集] 経済
とりわけ有力なものは、バス・自動車製造業、化学製品製造や電子産業である。いくつかの銀行が本店を置いている。
[編集] 交通
鉄道交通の要衝の一つであり、フランクフルトやミュンヘン、コペンハーゲン、パリと結ぶ国際空港もある。
[編集] 姉妹都市
[編集] 関連項目
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