一乗寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
一乗寺 | |
---|---|
三重塔(国宝) |
|
所在地 | 兵庫県加西市坂本町821-17 |
位置 | 北緯34度51分33.51秒 東経134度49分8.49秒 |
山号 | 法華山 |
宗派 | 天台宗 |
本尊 | 聖観音 |
創建年 | 伝・白雉元年(650年) |
開基 | 伝・法道仙人 |
正式名 | |
別称 | |
札所等 | 西国三十三箇所26番 播磨西国三十三箇所33番 |
文化財 | 三重塔、聖徳太子及び天台高僧像10幅(国宝)、本堂他(重要文化財) |
一乗寺(いちじょうじ)は、兵庫県加西市にある天台宗の寺院。西国三十三箇所第26番、および播磨西国三十三箇所第33番札所である。山号は法華山、本尊は聖観音である。
寺伝では孝徳天皇の勅願で650年に創建、開基(創立者)は法道仙人とされる。 国宝に指定されている三重塔は1171年の建立で、日本国内屈指の古塔である。 境内は山深く、春は桜、秋は紅葉の名所としても知られている。
目次 |
[編集] 歴史
一乗寺の開基とされる法道仙人は、天竺(インド)から紫の雲に乗って飛来したとされる伝説的人物である。『元亨釈書』等の記述によれば、法道はインドに住んでいたが、紫の雲に乗って中国、百済を経て日本へ飛来、播州印南郡(兵庫県加西市)に八葉蓮華(8枚の花弁をもつハスの花)の形をした霊山を見出したので、そこへ降り立ち、法華経の霊山という意味で「法華山」と号したという。法道は神通力で鉢を飛ばし、米などの供物を得ていたため、「空鉢仙人」と呼ばれていた。法道の評判は都へも広まり、白雉元年(650年)、時の帝である孝徳天皇の勅命により法道に建てさせたのが一乗寺であるという。
法道仙人開基伝承をもつ寺院は兵庫県東部地域に集中しており、「インドから紫雲に乗って飛来」云々の真偽は別としても、こうした伝承の元になり、地域の信仰の中心となった人物が実在した可能性は否定できない。一乗寺には7世紀~8世紀にさかのぼる金銅仏6躯が存在し(うち3躯は重要文化財)、付近には奈良時代にさかのぼる廃寺跡、石仏などが存在することからも、この地域一帯が早くから仏教文化の栄えた地であることは確かである。
創建当時の一乗寺は現在地のやや北に位置する笠松山にあったと推定されている。笠松山の山麓には古法華(ふるぼっけ)石仏と称される奈良時代の三尊石仏(重要文化財)があり、「古法華」とは「法華山一乗寺の旧地」の意味と思われる。現存する一乗寺三重塔は平安時代末期の承安元年(1171年)の建立であるところから、その年までには現在地において伽藍が整備されていたと思われるが、正確な移転時期は不明である。
一乗寺は中世、近世には何度かの火災に遭っているが、平安時代の三重塔をはじめとする古建築がよく保存されている。本堂は姫路藩主本多忠政の寄進により、寛永5年(1628年)に建てられたものである。
[編集] 境内
山間に位置する境内は長い石段が続き、数段に分けて整地されている。最初の石段を上ったところに常行堂、次の石段を上ると三重塔があり、三重塔よりさらに高い位置に懸崖造の本堂が建つ。このため、本堂の縁に立つと三重塔を見下ろすことができる。本堂からさらに200メートルほど登ったところに法道仙人を祀る開山堂が建つ。
(三重塔・常行堂以外は2009年ごろまでは改修中で道は閉ざされ、常行堂を仮本堂としている。常行堂前には仮設の納経所がある)
[編集] 文化財
[編集] 国宝
- 三重塔 (国宝)-承安元年(1171年)の建立。
- 絹本著色聖徳太子及び天台高僧像10幅
[編集] 重要文化財
- 本堂-寛永5年(1628年)の建立。
- 護法堂-鎌倉時代後期
- 妙見堂-室町時代
- 弁天堂-室町時代
- 石造五輪塔-鎌倉時代
- 絹本著色阿弥陀如来像
- 絹本著色五明王像
- 銅造観音菩薩立像 2躯
- 銅像観音菩薩立像 1躯
- 木造法道仙人立像
- 木造僧形坐像
[編集] 所在地
- 〒675-2222 兵庫県加西市坂本町821-17