一口香
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一口香 (いっこうこう)(いっこっこうと呼ぶ地域も有る)は、長崎県、愛知県の郷土菓子。佐賀県にも同種の菓子があり、これは「逸口香(読みは同じ)」と呼ばれる。
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[編集] 製法
小麦粉・水飴・黒糖・生姜・唐灰汁(かんすいの一種)・胡麻、重曹等を原料にした焼き菓子で、大まかな製造法は水飴で練った小麦粉の皮で黒糖の飴を包み、オーブンで焼き上げる。小麦粉と水飴の皮はボーロ状となり、中の黒糖の飴は溶けて皮に付着して空洞となる。その独特の製法と中が空洞という形状から「からくりまんじゅう」とも呼ばれる。饅頭状(一部は煎餅状)に焼き上げる為、胡麻を振った裏面のみに焦げ目が付く。この為、ひっくり返して表面にも焦げ目を付ける。但し、常滑の一口香は、裏面のみに焦げ目を付ける為、見た目は小さな饅頭や月見団子を思わせる形となっている。
サイズは唐饅頭の煎餅程の物から愛知県の十円硬貨程の一口サイズの物まで様々である。
長崎県や愛媛県では黒糖餡の他に、柚子ジャムを用いた餡や柴芋餡、抹茶餡等のバリエーションが存在する。又、硬めの仕上がりを避けて比較的ソフトな食感に仕上げた一口香も存在する。
[編集] 由来
製法から外来の菓子と考えられるが詳らかでは無い。一説には中国の船員の保存食と言われている。長崎市には一口香と良く似た「胡麻パン」と呼ばれる中華菓子が有る。これは福建省の駄菓子であるが、中国本土では既に途絶してしまったと言われている。この胡麻パンが一口香と同じ起源を持つ可能性が高い。
江戸時代の製菓書には一口香と製法が酷似した「胡麻餅」の記載がある。又、大きく見えてその実中身ががらんどうである事を持って「ごまかす」の語源の一説とされる「胡麻菓子(胡麻胴覧)」も、一口香とよく似た製法(小麦粉を水で硬めに練った生地で砂糖を包み込み、これを窯で焼いた。熱で砂糖が溶けて中が空洞となる。胴覧は江戸時代の装身具でポシェットの様な物)である事から、伝来した時期はかなり早いと考えられる。
常滑市大野の一口香は、江戸時代初期に当地に海水浴に訪れた尾張藩主が賞味して命名した物と言われている。既にこの時点で同地区に存在していた事になるが、この菓子がどこから由来したのか、或いは誰が作り始めたのか、と言った由来や起源は不明である。江戸時代にはこの一口香は、尾張国の名産として知られていたと言う。
四国には「唐饅頭」と呼ばれる同種の菓子が有り香川県観音寺市、愛媛県宇和島市が有名である。原材料・製法は一口香とそれ程変わりは無いが、形は偏平状若しくは円形の煎餅の様な形となっている。得に、香川県観音寺市の物は江戸時代慶長年間にオランダから舶来したと言われるが、製法・原材料から観て疑問が有る。頼三陽も賞味したと言われるが現在は製造されていないと見られる。一方、愛媛県宇和島市の物は起源が不明であるが、既に江戸時代から製造していたと見られる。
[編集] タイプ
長崎県では一般的な駄菓子として知られている。スーパー等で売られている地元向けの物から、膨張剤を使う等の改良を重ねて大きな空洞を持たせる事に成功した土産向けの物まで有る。
愛知県常滑市大野町の一口香は尾張藩藩主によって江戸時代初期に「芥子香」と名付けられており、代々尾張藩の御用菓子であった。江戸時代には尾張名物として広く知られていたが、現在では製造している菓子店は一軒のみとなっている。長崎や佐賀の物に比べて十円玉硬貨程の小ささであり、胡麻は用いられていない。
佐賀県の逸口香は、江戸時代後期から存在し、肥前藩の倹約令で「逸口香に上砂糖を用いない事」と言う条文が有ったと言う。
愛媛県の唐饅頭は形状は扁平で一口香より大きく、原材料はほぼ同じであるが、愛媛県の物は餡に柚子風味の白砂糖を用いている。