丁型海防艦
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丁型海防艦(ていがたかいぼうかん)は、は大日本帝国海軍が第二次世界大戦において運用した海防艦。主に船団護衛に用いられた。基本計画番号はE22。量産性を最重視し、丙型海防艦と同じく、それまでの日振型海防艦・鵜来型海防艦などより小型化・簡略化が進められている。艦名より第二号型海防艦とも呼ばれる。同型艦67隻竣工。
[編集] 概要
日本海軍は、第二次世界大戦の後期に、大量の護衛艦を必要としていた。択捉型海防艦以降、対潜・対空性能および量産性を重視した海防艦を建造しようと努力し、かなり簡略化が進められた日振型海防艦・鵜来型海防艦を建造するに至った。しかし、戦況の悪化に伴い、さらなる護衛艦艇の増強が求められたため、小型化、艦型をさらに簡略化し、量産性に適した艦を建造することとなった。
この際、まずディーゼル機関を搭載した丙型海防艦の建造計画が立てられたが、機関の生産能力の不足により、必要量を満たせない可能性があった。そのため、ほぼ同じ大きさの艦体に、ディーゼルではなく蒸気タービンを搭載した丁型海防艦の建造計画も立てられた。
設計は、1943年6月に開始され、7月には完了している。機関は、戦時標準船向けに生産されていた蒸気タービンが使用された。丙型海防艦のディーゼル2基合計1,900馬力に対し、蒸気タービン1基2,500馬力と出力は向上している。それにより、最高速力は17.5ノットと向上したが、燃費は低下している。このほか、対潜兵装は充実しており爆雷搭載量も120個と多い。
艦の名称は、一番艦が第二号海防艦と命名され、その後は、偶数番号が付けられている。
一番艦は1943年10月に起工し、1944年2月には竣工している。最短で起工から竣工まで74日の艦があり、量産性の確保には成功している。143隻の建造計画が立てられたが、63隻が戦争中に完成し、戦後に復員輸送用に4隻が完成している。戦歴は激しく、25隻が戦没している。
[編集] 要目
- 全長:69.5m
- 全幅:8.6m
- 基準排水量:740t
- 最高速力:17.5ノット
- エンジン:蒸気タービン1基1軸
- 馬力:2,500馬力
- 航続距離:14ノットで4,500海里
- 兵装:45口径12センチ高角砲 単装2基、25mm三連装機銃2基、三式爆雷投射機12基、爆雷投下軌条1基、爆雷120個など。