三富新田
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
三富新田(さんとめしんでん)は、江戸時代の元禄期に開拓された武蔵野台地上の一地域である、埼玉県入間郡三芳町上富と、同県所沢市中富・下富の総称である。
[編集] 地理
開拓前は一面の原野で周辺29か村の入会地であったが、元禄7年(1694年)に川越藩主となった柳沢吉保が、農作物増産等によって藩政を充実させる目的で、家臣の曽根権太夫に命じて藩内のこの地を開拓させたものである。特徴としては、幅6間(約10.9m)の道の両側に農家が並び、その1軒の農家ごとに畑、雑木林が面積が均等になるように短冊型に並んでいるという地割である(例えば上富村では、1戸の間口が40間(約72.7m)、奥行き375間(約681.8m)、面積5町歩(15000坪=約49500平方m)となっている)。この地割の方法は北宋の王安石の新田開発法を参考にしたといわれる。元禄9年(1696年)の検地による屋敷の戸数は、上富91戸、中富40戸、下富49戸の計180戸。この整然とした地割と景観は現在でも良く残され、1962年には、旧跡として埼玉県指定文化財に指定されている。