上村吉弥 (5代目)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
五代目上村吉弥(ごだいめ かみむら きちや、明治42年(1909年)12月13日 - 平成4年1992年1月1日)は、昭和後期の歌舞伎役者。小芝居から大歌舞伎に入り、上方歌舞伎の伝統を受継いだ女形や花車方を得意とした。本名遠島直。
名跡は五代目片岡我當らの斡旋により、当代が継いだが、血縁上の関係はない。
[編集] 略歴
1909年、大分県杵築市生まれ。3歳ほどのころから当地の歌舞伎に子役で出演し、1919年には中村桂之助の名前で福岡大博劇場に出演。以降も小芝居を転々とするなかで、1933年に二代目市川右團次に入門し、市川右升の名前をもらう。1944年以降は松竹専属。この時期は美貌の女形として知られ、小芝居を中心とした活動ながら人気俳優であった。特に阿古屋を得意とし、連日の大入りをとったところから、「阿古屋の右升」という呼び名さえあるほどだった。
1947年、歌舞伎座で元禄以来絶えていた名跡上村吉弥を襲名(五代目)。関西を中心に活動し、七人の会や仁左衛門歌舞伎では脇をかためる重要な役割を担った。1974年、京都南座で十三世片岡仁左衛門の『堀川波鼓』で母おぎんを勤めた後は、特に老女役が多くなり、上品で渋みのある芸で知られた。なかでも『仮名手本忠臣蔵』のおかや、『攝州合邦辻』の老母おとくは一代の傑作である。
1989年、日本芸能実演家団体協議会より功労者として表彰される。同年勲五等双光旭日章受章。杵築市で上村吉弥帰郷歓迎会が行われる。以降、脇に手利きがすくなくなった歌舞伎界でその至芸は重んじられ舞台に立ちつづけたが、癌のために1992年1月1日、京都で死去。享年82。