上松陽助
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
上松陽助(うえまつ ようすけ、1914年(大正3年)7月2日 - 1996年(平成8年)1月18日)は元岐阜県知事、元岐阜市長、学位は法学士(東京帝国大学)。称号は岐阜県名誉県民、岐阜市名誉市民。
生年月日 | 1914年(大正3年)7月2日 |
出身地 | 岐阜県岐阜市 |
最終学歴 | 東京帝国大学法学部政治学科 (現:東京大学)卒業 |
学位 | 法学士(東京大学) |
前職 | 岐阜市収入役 |
世襲の有無 | 無 |
在任期間 | 1977年(昭和52年)2月8日 ‐ 1989年(平成元年)2月5日 |
当選回数 | 3回 |
[編集] 来歴・人物
岐阜県岐阜市出身。岐阜中学校(現:岐阜県立岐阜高等学校)、第八高等学校(現:名古屋大学)、東京帝国大学法学部政治学科(現:東京大学)卒業。
その後、日鉄鉱業株式会社に就職し、兵役を経て、雑貨を扱う常盤産業株式会社を設立し代表取締役社長に就任。
岐阜市経済部長、企業部長、民生部長、農林部長、民生局長等の要職を歴任し、収入役を経て岐阜市長に就任、1977年2月に岐阜県知事選挙に出馬し初当選。1989年まで3期12年を務め、国際化・情報化・高齢化といった激しい社会変化の中で、常に時代を先取りしながら多様化する県民のニーズに着実に対応した。
1988年12月19日、清潔、公正そして実行という政治姿勢を終始一貫保持し、冷静な思考力と卓越した指導力、そして深い郷土愛のもとに「地方の時代」に先鞭をつけ、県勢の発展に一時代を画す功により岐阜県名誉県民の称号が授与された。
1990年2月6日、市政・県政の発展、福祉の増進、文化の進展に貢献された功により岐阜市名誉市民の称号が授与された。
[編集] 略歴
- 1914年7月2日 上松安之助の長男として誕生
- 1931年3月 東京帝国大学法学部政治学科(現:東京大学)卒業
- 1931年4月 日鉄鉱業株式会社に就職
- 1934年3月 兵役(内地勤務)
- 1945年8月 兵役解除
- 1945年10月 日鉄鉱業株式会社を退職
- 1947年6月 常盤産業株式会社を設立し代表取締役社長
- 1948年3月 岐阜市経済部長(企業部長、民生部長、農林部長、民生局長等の要職を歴任)
- 1967年11月 岐阜市収入役
- 1969年2月 岐阜市長に初当選( - 1975年)
- 1977年2月 岐阜県知事選挙に出馬し初当選(以降3期12年)
- 1988年12月19日 岐阜県名誉県民受章
- 1990年2月6日 岐阜市名誉市民授章
|
|
カテゴリ: 都道府県知事・市町村長 | 岐阜県の政治家 | 1914年生 | 1996年没