上越教育大学附属中学校
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上越教育大学附属中学校(じょうえつきょういくだいがくふぞくちゅうがっこう、Junior High School Joetsu University of Education)は、新潟県上越市本城町にある国立大学法人上越教育大学の附属学校。
上越教育大学附属中学校 | |
過去の名称 | 新潟第二師範学校 新潟大学教育学部附属高田中学校 |
国公私立の別 | 国立学校 |
設立年月日 | 1899年4月2日 |
開学記念日 | 10月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
クラス数 | 各学年3クラス(40人) |
所在地 | 〒943-0835 |
新潟県上越市本城町6-2 | |
電話番号 | 025-523-5313 |
FAX番号 | 025-523-3594 |
外部リンク | 公式サイト |
上越教育大学附属中学校の裏門 (2005年11月23日撮影) |
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航空写真(1975年度撮影) |
目次 |
[編集] 概要
徳川家康の息子である松平忠輝公の居城であった高田城本丸跡に校舎が建っている。そのため四方を堀に囲まれ、日本三大夜桜で有名な高田公園の中にあって桜の木が何百本もあり、春には桜が満開となりきれいなところである。現在建っている校舎は、2003年に改築が行われ耐震構造の校舎になっている。
毎年、10月には教育研究協議会が開かれ、毎年全国から数百人の教師が集まり、全国に先駆けて実践している独自の教育システムと成果を公開している。
[編集] 沿革
[編集] 経緯
上越教育大学附属中学校は、新潟県第二師範学校を前身とする中学校である。
[編集] 年表
師範学校時代
- 1899年4月 - 新潟県第二師範学校として開校
- 1901年4月 - 新潟県高田師範学校に改称
- 1943年4月 - 新潟第二師範学校に改称
新潟大学時代
- 1949年5月31日 - 新潟大学高田分校となる
- 1951年4月1日 - 新潟大学教育学部附属高田中学校となる
- 1952年8月1日 - 体育館(308坪)完成
- 1966年4月1日 - 1学級増設
- 1967年8月31日 - 特別教室(521㎡)が完成
- 1967年11月6日 - 創立20周年記念式典挙行
- 1977年11月15日 - 創立30周年記念式典挙行
- 1980年12月7日 - 創立30周年記念行事並びに教育学部統合による閉校記念式典を挙行
上越教育大学時代
- 1981年4月1日 - 新潟大学教育学部附属高田中学校は教育学部統合により上越教育大学へ移管、上越教育大学学校教育学部附属中学校となる
- 1991年10月 - 創立10周年記念式典挙行
- 2001年10月 - 創立20周年記念式典挙行
- 2004年4月 - 国立大学法人化により上越教育大学附属中学校となる
- 2004年4月 - 文部科学省 研究開発学校(平成16~18年度)に認定
- 2006年4月 - 新潟県金融広報委員会 金融教育研究校(平成18・19年度)に認定
- 2006年4月 - エネルギー教育実践学校(平成18~20年度)に認定
[編集] 教育方針
[編集] 教育目標
民主社会の発展に寄与する,人間性豊かな,たくましい生徒を育成する
- 美しいものや崇高なものに感動する心をもち,真理を不断に追求しようとする生徒を育てる。
- 広い心と向上心をもち,求めて共に実践する生徒を育てる。
- 自ら目標をもち,気力,体力の充実に努める生徒を育てる。
[編集] 任務
義務教育の学校として
教育基本法、学校教育法、その他の教育関係諸法規に基づき、生徒の心身の発達に応じた中等普通教育を行う。
教育実習校として
上越教育大学学校教育学部学生の教育実習の場として学生の指導に当たる。
研究校として
大学及び附属小学校と一体になり、教育理論及び実践に関する研究を行う。さらに、中学校独自の立場から研究、実践し、地域の教育現場に寄与できる資料を提供する。
[編集] 部活動
- 野球部
- 陸上部
- 男女ソフトテニス部
- 女子バレーボール部
- バスケットボール部
- サッカー部
- 美術部
- 科学部
- 吹奏楽部
- 特設合唱部(年間活動ではない)
- 特設駅伝部(年間活動ではない)
その他:部活動ではないが、水泳・新体操・体操・バドミントンに参加する生徒もいる
[編集] 行事
- 春の合唱コンクール
- 桜城文化祭(秋の合唱コンクール)
- 桜城体育祭
[編集] 著名な卒業生
新潟大学教育学部附属中学校時代
[編集] 入試情報
- 1学年 男女合計120名
- 毎年1月に入学試験が行われる
[編集] 平成19年度入学試験
定員120名のところ150名が志願。