下田武三
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下田武三(しもだ たけぞう、1907年4月3日 - 1995年1月22日)は昭和期の日本の外交官。東京出身。外務事務次官・駐米大使・最高裁判事・プロ野球コミッショナー等を歴任。
外務省条約局長・外務事務次官・駐米大使等を歴任した後、最高裁判事に就任。尊属殺法定刑違憲事件で最高裁が尊属殺重罰規定を違憲とした際ただ一人合憲の反対意見を出した事で知られる。
最高裁判所裁判官国民審査における不信任率15.17%は歴代最高である。
後プロ野球の第7代コミッショナーを務めた。江川事件後の混乱を収拾させたり、プロ野球人気を高めた功績から、正力松太郎以後の歴代のコミッショナーでは、唯一の名コミッショナーといわれている。