中坊公平
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中坊公平(なかぼう こうへい、1929年8月2日 - )は京都市生まれの元弁護士。元日弁連会長。「平成の鬼平」と呼ばれた。
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[編集] 経歴
旧制同志社中学校(現・同志社高等学校)、同志社外事専門学校を経て京都大学法学部卒。新しい日本をつくる国民会議(21世紀臨調)特別顧問。京都の老舗旅館「聖護院御殿荘」の経営者。2005年に弁護士を廃業している。
弁護士として森永ヒ素ミルク中毒事件、千日デパート火災、甲山事件、豊島産廃不法投棄事件など多くの事件に関わったほか、豊田商事事件では破産管財人を務めた。1990年には日本弁護士連合会会長に就任。1996年には住宅金融債権管理機構の社長、1999年には整理回収機構の社長に就任。
しかし2001年に住宅金融債権管理機構社長時に不適切な債権回収を行っていたことが明らかになり、その責任を取る形で2003年には弁護士の登録取消届を提出し廃業の意向を示した。ただこの廃業については「検察の起訴を免れるための司法取引だ」として同氏を批判する声も多く、その対応について賛否が分かれている。 廃業の意向は懲戒審査のため受理されていなかったが、2005年11月11日に受理、正式に廃業が決まった。
この事件に代表されるように、良くも悪くも個性が強く、また強引な手法を得意とする。一緒に組んだ弁護士の能力が劣ると判断すると、仕事現場にいづらくなるほど罵倒し続け、事実上クビにすることが多くあった(中坊に人事権はないので、法律上解雇・解約はできない)。
また、「司法改革」の名の下に、法科大学院制度を提唱し、推進した。
2007年3月22日、弁護士登録抹消から1年4カ月にて、大阪弁護士会に入会申込書と弁護士登録請求書を提出した。
[編集] 著書
- 『中坊公平・私の事件簿』 2000年、集英社
- 『金ではなく鉄として』 2002年、岩波書店
[編集] 関連人物
[編集] 外部リンク
- 聖護院御殿荘(中坊公平の実家でもある)